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スペインの自治州 ウィキペディアから
ラ・リオハ州(ラ・リオハしゅう、La Rioja)は、スペインを構成する自治州。ラ・リオハ州はラ・リオハ県のみで構成され、州都、県都はログローニョ。自治州創設以前はログローニョ県と呼ばれていた。
バスク州、ナバーラ州、アラゴン州、カスティーリャ・イ・レオン州と接している。エブロ川が州を横断しており、リオハ・ワインの生産地として有名である。
1099年にミランダ・デ・エブロのフエロ(特権法)にはリオハという地名が記載されており、この地名はこの地域を流れるオハ川に由来する。10世紀頃にはナバーラ王国とカスティーリャ王国がこの地域の覇権をかけて争ったが、最終的には1173年にカスティーリャ王国に併合された。
19世紀前半にスペイン全土に県が設置されるまで、この地域はブルゴス地方とソリア地方に分割されていた。1808年から1813年のスペイン独立戦争ではナポレオン軍がこの地域を占領し、1814年までフランス軍の支配下にとどまった。県の設置を検討していた歴史家のフアン・アントニオ・リョレンテによる1810年の計画では、この地域はブルゴスを県都とするアルランソン県の一部に組み込まれた。スペイン1812年憲法(カディス憲法)を拠り所とするカディス国会では、ラ・リオハ地方を独立した県とすることが宣言された。スペイン立憲革命中の1822年1月には、ラファエル・デル・リエゴの行政改革の一環として、王令によってログローニョ県が設置されたが、フェルナンド7世はすぐにこれらの決定を破棄し、以前の地域区分の大部分を復活させた。1833年スペイン地方行政区分再編でスペイン全土に49の県が設置されると、カスティーリャ・ラ・ビエハ地方の一部として再びログローニョ県が設置された。1841年には暫定的にログローニョ県の面積が拡大した。
1939年から1975年のフランコ独裁体制を経て、民主化後の1980年には県名をログローニョ県からラ・リオハ県に改称した。1982年のサン・ミリャン基本法(ラ・リオハ州基本法)によって、ラ・リオハ県は単独でラ・リオハ自治州となった(1県1州)[1]。なお、カスティーリャ・ラ・ビエハ地方のうち本県とサンタンデール県(後のカンタブリア州)を除く6県はカスティーリャ・イ・レオン州の一部となっている。
1992年には公立大学のラ・リオハ大学が開校し、ワイン学などの特徴的な学科を有している。2009年には私立大学のラ・リオハ国際大学が開校した。
ラ・リオハ州 (スペイン)の人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] |
スペインの17自治州の中ではバレアレス諸島州に次いで2番目に面積が小さく、人口は17自治州で最も少ない。人口の約半分が州都ログローニョに住んでいる。174あるムニシピオ(基礎自治体)のうち、ほぼ半数は人口が200人以下である。
県内は3の司法管轄区に分けられる[4]。太字は中心自治体。
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