ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ルドルフ1世(Rudolf I.、Rudolf von Habsburg、1218年5月1日 - 1291年7月15日[1])は神聖ローマ帝国のローマ王(ドイツ王、在位:1273年 - 1291年)[注釈 1]。ハプスブルク家最初の帝国君主として知られるが、正式な皇帝として戴冠するためのイタリア遠征は実施していない。元はハプスブルク伯ルドルフ4世。日本語ではルードルフとも表記される。大空位時代の中で選帝侯たちはルドルフを御し易い人物と考えて1273年の国王選挙で選出したが、ルドルフは諸侯の思惑に反してハプスブルク家の富と権力を増やし帝国に地盤を作り上げ、結果として大空位時代は終結する[2][3][4]。ただし彼の代ではまだ帝位獲得と王位世襲はできず、大空位時代を含めて200年にわたって非世襲の状態が続く。
このページの名前に関して「ルドルフ1世 (ドイツ王)」もしくは「ルドルフ1世 (ローマ王)」への改名が提案されています。 議論はノート:コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)を参照してください。(2023年10月) |
概要 ルドルフ1世 Rudolf I., 在位 ...
ルドルフ1世 Rudolf I. | |
---|---|
ローマ王 | |
ルドルフ1世 | |
在位 | 1273年 - 1291年 |
戴冠式 | 1273年8月24日 |
別号 |
ハプスブルク伯 オーストリア公 |
出生 |
1218年5月1日 神聖ローマ帝国 アルザス地方、リンブルク城 |
死去 |
(1291-07-15) 1291年7月15日(73歳没) 神聖ローマ帝国 プファルツ地方、ゲルマースハイム |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 帝国自由都市シュパイアー、シュパイアー大聖堂 |
配偶者 | ゲルトルート・フォン・ホーエンベルク(アンナ) |
イザベラ・フォン・ブルグント | |
子女 | 後述 |
家名 | ハプスブルク家 |
王朝 | ハプスブルク朝 |
父親 | ハプスブルク伯アルブレヒト4世(英語版) |
母親 | ハイルヴィヒ・フォン・キーブルク |
テンプレートを表示 |
閉じる
ルドルフの採った外交政策と軍事政策は成功を収め、混乱の続いていた帝国に20年近い平和をもたらした[2]。ルドルフ1世のローマ王選出によりハプスブルク家の名前が初めて歴史の表舞台に現れ[5]、ハプスブルク家はヨーロッパ最高峰の皇帝家へと発展していく[6]。ボヘミア王オタカル2世に勝利してオーストリアを獲得した後、ルドルフはその中心都市ウィーンに一門の拠点を移し、20世紀に至るまでウィーンはハプスブルク家の本拠地とされる[2]。