ロサンゼルス・レイカーズ
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ロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョンに所属。NBAの歴史の中で最も成功したチームの1つであり[6]、ボストン・セルティックスと並んで歴代最多タイの17回のNBAチャンピオンおよび1回のNBLチャンピオンを獲得している。その他に1回のマクドナルド選手権優勝がある。
ロサンゼルス・レイカーズ Los Angeles Lakers | |||||
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2022-23シーズンのロサンゼルス・レイカーズ | |||||
所属リーグ | NBA | ||||
カンファレンス | ウェスタン・カンファレンス | ||||
ディビジョン | パシフィック | ||||
創設 | 1947年 (77年前) (1947) | ||||
チーム史 |
ミネアポリス・レイカーズ 1947年–1960年 ロサンゼルス・レイカーズ 1960年–現在 | ||||
本拠 |
カリフォルニア州ロサンゼルス | ||||
アリーナ |
クリプト・ドットコム・アリーナ[1] 1999年開設 | ||||
チームカラー |
パープル, ゴールド, ブラック[2][3][4] | ||||
主なスポンサー | Bibigo[5] | ||||
オーナー | |||||
社長 | ジーニー・バス | ||||
GM | ロブ・ペリンカ | ||||
ヘッドコーチ | ダービン・ハム | ||||
優勝歴 |
17回 (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1972年, 1980年, 1982年, 1985年, 1987年, 1988年, 2000年, 2001年, 2002年, 2009年, 2010年, 2020年) | ||||
ファイナル進出 | 32回 (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1959年, 1962年, 1963年, 1965年, 1966年, 1968年, 1969年, 1970年, 1972年, 1973年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1987年, 1988年, 1989年, 1991年, 2000年, 2001年, 2002年, 2004年, 2008年, 2009年, 2010年, 2020年) | ||||
ディビジョン優勝 | 33回 (1950年, 1951年, 1953年, 1954年, 1962年, 1963年, 1964年, 1966年, 1969年, 1971年, 1972年, 1973年, 1974年, 1977年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1986年, 1987年, 1988年, 1989年, 1990年, 2000年, 2001年, 2004年, 2008年, 2009年 2010年, 2011年 2012年, 2020年) | ||||
永久欠番 | 6 8 13 16 22 24 25 32 33 34 42 44 52 99 | ||||
NBAGL提携チーム | サウスベイ・レイカーズ | ||||
公式サイト |
www | ||||
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1947年にナショナル・バスケットボール・リーグ(英語版) (NBL) のデトロイト・ジェムズという解散したチームを買収したことから始まり、新チームはミネソタ州ミネアポリスに本拠地を置き、ミネアポリス・レイカーズと命名された[7]。当初はNBLに所属していたが、1948年にNBLファイナルを制覇した後、当時ライバルリーグであったBAA(英語版)に加盟し、スター選手のジョージ・マイカンを中心に5度の優勝を果たした[8]。
1960年代はエルジン・ベイラーとジェリー・ウェストを中心としたチームでNBAファイナルに6回進出したが、ボストン・セルティックスに6回とも敗北し、これにより長年にわたるセルティックスとのライバル関係が始まった。1968年に4度のシーズンMVPを受賞しているウィルト・チェンバレンを獲得、新しいヘッドコーチとしてビル・シャーマンを採用し、1972年に6回目となるNBAチャンピオンを制覇した。ウェストとチェンバレンの引退後、チームはカリーム・アブドゥル=ジャバーを獲得した。ジャバーは在籍中にシーズンMVPを複数回受賞したが、1970年代後半はファイナルに進出できなかった。しかし、1979年にフランチャイズに新たな黄金時代をもたらす2つの大きな変化が訪れた。1つ目はジェリー・バスがレイカーズを買収し、チームのオーナーとして、バスケットボールの試合はスポーツイベントとという概念を排除し、エンターテインメントの見世物として捉えるというビジョンを打ち出した[9]。2つ目は、1979年のNBAドラフトでシドニー・モンクリーフではなくマジック・ジョンソンを全体1位で指名したことが始まりだった[注 1]。
ジョンソンとジャバーのコンビが誕生し、レイカーズは黄金時代を迎えた。1981年にパット・ライリーがヘッドコーチに就任し、1982年のNBAドラフトでジェームズ・ウォージーが加わり、1980年代はNBAの強豪チームとして確立された。ジョンソンのファストブレイク、トランジションオフェンスから、「ショータイム・レイカーズ」の愛称で呼ばれるようになった。9年間で5度の優勝を果たし、その中には宿敵セルティックスとのファイナルでの対決も含まれていた。
ジャバーとマジックが引退した後、1990年代初頭は低迷していたが、1996年にシャキール・オニールとコービー・ブライアントを獲得した。ヘッドコーチには1990年代に6回の優勝(その内2回のスリーピート)を成し遂げたフィル・ジャクソンが就任し、シャックとコービーのダイナミックデュオを擁し、チームは2000年から2002年にかけてフランチャイズ史上2回目となる3連覇を達成した。また、2009年と2010年には2連覇を達成した。しかしその後10年間チームは低迷し続けることとなったが、2018-19シーズンよりレブロン・ジェームズを獲得した事により名門復活を掲げ、2019年にはアンソニー・デイビスを獲得し、2020年に優勝を果たした。