ワンダーフォーゲル(ドイツ語: Wandervogel 渡り鳥の意)は、戦前期ドイツにおいてカール・フィッシャーらがはじめた青少年による野外活動である。また、それを元にする野外活動を率先して行おうとする運動。
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1896年にベルリン近郊(当時)のシュテーグリッツのギムナジウムの学生だったカール・フィッシャーがはじめた。
その思想の一部を受け、日本でも(主に)大学のクラブ・サークル活動の一環として野外活動を主とする部が発展した。これらの活動もワンダーフォーゲルと呼び、ワンゲルと略する事がある。なお、標準ドイツ語の発音では「ヴァンダーフォーゲル」(ドイツ語発音: [ˈvandɐˌfoːɡl])に近い。
ドイツのワンダーフォーゲル
はじまり
19世紀後半のドイツにおいての急激な近代化に対する広い意味での自然主義の高揚を背景としている。
はじめ、フィッシャーらは男の子ばかり郊外の野原にでかけてギターを弾き、歌を歌った。そのうち、グループの緑の旗が出来たり、男の子は半ズボンに、ニッカーボッカーのようなスタイルになり、女の子も参加するようになる。
Wandervogelは渡り鳥を指す古い言葉で[1]、活動に冠された由来には諸説ある。一説によると1901年、初期メンバーの一人ヴォルフガング・マイエンの提案で、グループがよく歌った歌詞から採用したという。鳥、つまりさえずるという意であると同時に、社会の固定された規範から自由でありたいという願いが込められている。
1910年代にはドイツ全土に広がり、ハンス・ブリューアーがワンダーフォーゲルの理論を構築した[2]。
運動の消滅とナチズム
第一次世界大戦に入り、ワンダーフォーゲルは、戦争忌避的な個人主義、個人の享楽主義のようにとられ、好ましくないとの批判が出てくるようになり、関連の団体、グループ13団体が、ホーエン・マイスナーに集合し、「自由ドイツ青年」という団体を結成する。戦争の進展と共に運動の一部はナチ化し、のちヒトラーユーゲントに吸収されて、その姿を消す[3][4]。
日本のワンダーフォーゲル
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小史
日本には第二次世界大戦前のドイツとの国家的友好関係とその影響の元に、1933年(昭和8年)文部省内に「奨健会ワンダーフォーゲル部」が設けられ、国による健全な青少年運動として宣伝と普及が開始された。それらに触発され1935年(昭和10年)に発足した立教大学ワンダーフォーゲル部が日本での最初の学生団体である。その後、戦争をまたいで高度経済成長と登山大衆化を背景として各地の大学に広く設立されるに至る。しかしながら、1970年代に各地の団体における過酷な訓練がシゴキ事件として問題視された経緯もある。
連帯と交流
各地方に学生ワンダーフォーゲル連盟といった組織が存在するものの、その組織率は低く一部にとどまっているほか全国組織は現在存在しない。
高校・高専のワンダーフォーゲル
高校や高専の部活動の一つとしてのワンダーフォーゲル部も存在し、インターハイなどではいわゆる“競技ワンゲル”と呼ばれる縦走登山の様々な技術を競う独特なスポーツ競技もある。このような競技は大学レベルには存在しない。
関連項目
- 東京農業大学ワンダーフォーゲル部死のシゴキ事件 - 1965年に起こった傷害致死事件。
- 福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件 - 1970年に起こった獣害事件。
- ベーレンライター出版社 - 発祥のきっかけにワンダーフォーゲル運動があった。[5]
脚注
外部リンク
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