ヴェルブジュドの戦い
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ヴェルブジュドの戦い(セルビア語: Битка код Велбужда、Bitka kod Velbužda ブルガリア語: битка при Велбъжд、bitka pri Velbazhd)は、1330年7月28日にヴェルブジュド(現在のキュステンディル)近郊で起きたセルビア王国と第二次ブルガリア帝国の戦闘である。
概要 ヴェルブジュドの戦い, 交戦勢力 ...
ヴェルブジュドの戦い | |
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![]() ヴェルブジュドの戦いでのステファン・ウロシュ3世デチャンスキを描いた16世紀の絵画 | |
戦争:ブルガリア・セルビア戦争(英語版) | |
年月日:1330年7月28日 | |
場所:キュステンディル | |
結果:セルビア軍の決定的勝利[1] | |
交戦勢力 | |
第二次ブルガリア帝国 | セルビア王国 |
指導者・指揮官 | |
ミハイル3世シシュマン † | ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン |
戦力 | |
15,000 | 18,000[2] |
損害 | |
被害大 | 被害大 |
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13世紀末から領土を拡張する新興勢力のセルビアに対して、バルカン半島の旧勢力であるブルガリアと東ローマ帝国は危機感を抱き、1327年に反セルビアの軍事同盟を締結した。3年後、セルビア軍とブルガリア軍はヴェルブジュドで激突し、ブルガリア軍は奇襲を受けてセルビアに敗北する。
セルビアの勝利は、その後の20年におけるバルカン半島での勢力図を形作ることとなった。敗北したブルガリアは領土こそ喪失しなかったものの、セルビアのマケドニアへの進出を許してしまう。かたや勝者であるセルビアはマケドニアに加えて東ローマ領のテッサリアとイピロスの一部を支配下に置き、王国の最大版図を現出させた。