万宝山事件
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万宝山事件(まんぽうざんじけん)とは、1931年(昭和6年)7月2日に中国の長春北西に位置する万宝山で起こった、入植中の朝鮮人とそれに反発する現地中国人農民との水路に関する小競り合いが中国の警察を動かし、それに対抗して動いた日本の警察と中国人農民が衝突した事件。死者なく収まったが、この事件をきっかけに朝鮮半島で中国人への感情が悪化して排斥運動が起こり、朝鮮人による中国人襲撃事件が起こり、多くの死者重軽傷者がでた[1][2]。事件に続けて起きた朝鮮排華事件を包含して万宝山事件と呼称されることもある[3]。中村大尉事件とともに、関東軍による満洲問題の武力解決の口実にも使われ、後の満洲事変につながった[4]。