上杉謙信女性説
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上杉謙信女性説(うえすぎけんしんじょせいせつ)は、昭和43年(1968年)に小説家八切止夫が提唱した越後国の戦国大名上杉謙信が実は女性であったのではないかとする仮説である。八切説自体については上杉謙信女性説の先鞭をつけたというだけで特に歴史的新発見があるわけでもなく、所々で創作に近いと思われるような表現も見受けられ、どちらかと言うと女性説を反証するためのレトリックとして使われる傾向があるが、八切説は上杉謙信女性説自体とは同義ではない。逆に文献の解釈が分かれる謙信の死因についても「厠で脳溢血で倒れた」という、江戸時代の軍学者一人の論拠の乏しい仮説がさも事実であるかのように一部で受け入れられてもいるがその根拠となる文献は存在しない。
実は上杉謙信の遺体は火葬されず甲胄を着せたまま漆で固めた遺骸が残されていると言われていて1876(明治9)年より上杉家廟所に安置されているということだが上杉家の意向で現在まで一切の学術調査は受け入れていない。上杉家では遺骸が神聖な物として不可侵な信仰の対象とされているためである。