下妻城
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下妻城(しもつまじょう)は、茨城県下妻市(常陸国関郡下妻荘)にあった日本の城。多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城(たがやじょう)とも称し、地元では一般にこの名称を用いている[1]。
概要 logo下妻城 (茨城県), 別名 ...
下妻城 (茨城県) | |
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本丸跡 | |
別名 | 多賀谷城 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 多賀谷氏家 |
築城年 | 寛正2年(1461年)または同3年(1462年) |
主な城主 | 多賀谷氏、徳川頼房 |
廃城年 | 慶長14年(1610年) |
遺構 | 土塁・堀 |
指定文化財 | 多賀谷城本丸跡(下妻市指定史跡) |
位置 | 北緯36度11分1.8秒 東経139度57分56.9秒 |
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城郭は広大で旧真壁郡下妻町の領域がすっぽりと収まるほどであった[2]。1950年代までは曲輪・濠・土塁跡が残っていたとされるが、1961年(昭和36年)に始まった都市計画事業を経て、現在では多賀谷城跡公園内にわずかに痕跡を残すのみとなっている[2]。