久世広明
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久世 広明(くぜ ひろあきら)は、江戸時代中期の大名。寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中。下総国関宿藩主。官位は従四位下大和守。関宿藩久世家4代。
大身旗本・久世広武(久世重之の五男広籌を初代とする旗本久世家)の長男として誕生。幼名は熊太郎。実父広武は土井利良の三男として生まれて、広籌の養子に迎えられた。
寛保3年(1743年)7月9日、本家である関宿藩主久世暉之の養嗣子となった。7月28日、8代将軍徳川吉宗に御目見した。寛延元年(1748年)8月22日、暉之が隠居し家督を継ぐ。寺社奉行、京都所司代などを歴任後、天明元年(1781年)に老中となり、天明5年(1785年)に死去するまで在任した。墓所は、東京都豊島区巣鴨5丁目の本妙寺。
父母
正室
- 岡部長著の娘
子女
- 久世広誉(長男)生母は正室
- 久世広備(六男)
- 長谷川勝孚(七男)
- 土井利豊(八男)
- 久世広才(九男)
- 鈴木重逵(十一男)
- 松平広徳(十二男)
- 久世広侶(十三男)
- 久世広楽正室
- 久世満喜子 - 伊達村芳正室
- 久世広孝正室