五条頼元
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五条 頼元(ごじょう よりもと)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての廷臣。大外記・清原良枝の次男。官職は勘解由次官。
概要 凡例五条頼元, 時代 ...
時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 正応3年(1290年) |
死没 | 正平22年/貞治6年5月20日[1](1367年6月17日) |
改名 | 頼元→宗性(法号) |
官位 | 勘解由次官 |
主君 | 懐良親王 |
氏族 | 清原姓五条家 |
父母 | 父:清原良枝 |
兄弟 | 清原宗尚、頼元 |
子 | 良氏、頼顕、良遠 |
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南朝の征西将軍懐良親王に付き従い、九州における一時の南朝勢力隆盛を助けた。広澄流清原氏支流五条家の祖であり、子孫はそのまま九州に土着して大友氏(義鑑・義鎮(宗麟)・義統)や加藤清正、立花宗茂に仕えるなどしている(五条鎮定もその一人である)。