京王電鉄バス
日本の東京都府中市にあるバス事業者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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京王電鉄バス株式会社(けいおうでんてつバス、英称:Keio Dentetsu Bus Co.,Ltd.[6])は、2002年2月1日に設立され[1][7]、同年8月1日に京王電鉄自動車事業部の事業一切を継承して営業を開始した[7]、京王グループの中核バス会社である。
画像右奥手前は本社の京王府中晴見町ビル (京王バス府中営業所) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] 北緯35度40分44.2秒 東経139度28分23.5秒 |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 北緯35度39分4.9秒 東経139度26分53.3秒 |
設立 | 2002年2月1日[1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9013401002381 |
事業内容 | 乗合バス事業、貸切バス事業、特定バス事業他 |
代表者 | 代表取締役社長 宮坂周治[1] |
資本金 | 1億円[2] |
発行済株式総数 |
9万2000株 (2010年3月31日現在) |
売上高 |
58億9000万円 (2021年3月期) [3] |
営業利益 |
▲16億0900万円 (2021年3月期)[3] |
経常利益 |
▲15億8400万円 (2021年3月期)[3] |
純利益 |
1億5300万円 (2023年3月期)[4] |
総資産 |
270億5600万円 (2023年3月期)[4] |
従業員数 | 524名(2023年3月31日時点)[1] |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄 100% |
主要子会社 | 京王バス 100%[5] |
関係する人物 | 永田正 |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/ |
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子会社に京王バス株式会社があり、当社と合わせて京王電鉄バスグループを形成している。本稿では京王バスについても扱う。
本社は両社とも東京都府中市晴見町2-22、京王バス府中営業所内にある「京王府中晴見町ビル」に所在する[1]。ただし登記上の本店は、東京都多摩市関戸一丁目9-1の京王電鉄本社にある。
一般路線バスの営業エリアは、新宿から東京23区西部および多摩地域であり、京王電鉄バスグループの路線網は京王電鉄沿線のほぼ全域に及ぶ。そのほとんどが東京都内完結路線であるが、一部京王相模原線沿線など神奈川県内に乗り入れる路線もある。
高速バスは、バスタ新宿、渋谷マークシティ、立川駅などを拠点に、山梨県・長野県・岐阜県・愛知県への中央高速バスをはじめとして、群馬県・長野県への関越自動車道・上信越自動車道経由の高速バス、静岡県への東名高速道路経由の高速バス、大阪府・兵庫県・宮城県への夜行高速バスを運行している。
京王電鉄沿線およびJR中央線沿線などから、羽田空港・成田空港への空港連絡バス、調布駅と東京ディズニーリゾート、渋谷マークシティから、三井アウトレットパーク木更津・袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅を結ぶ直行高速バスなども運行している。
高速バス座席予約システムの「ハイウェイバスドットコム」は2000年に京王電鉄が開設し、バス事業分社化により京王電鉄バスに引き継がれ運営されている。
沿線の各自治体からコミュニティバスも運行受託しており、京王電鉄バスとしては桜ヶ丘営業所で日野市ミニバス(日野市)の運行を受託している。子会社におけるコミュニティバス運行受託は「#子会社」の節を参照。
なお「京王電鉄バス」の名称は、本来は1997年4月1日に最初の分離子会社として設立された京王バス株式会社(初代)と区別するために、京王帝都電鉄(当時)直営のバス事業に対して付けられたものである。その後、2002年にバス事業が京王電鉄から分社化される際に「京王電鉄バス」の名称がそのまま用いられた。
京王電鉄バス(八王子営業所・桜ヶ丘営業所・小金井営業所)の2023年4月1日時点での車両数は133両、従業員数は524名(子会社を除く)[8]。京王バス株式会社(2代目)の詳細については「#子会社」の節を参照。
京王電気軌道のバス事業
京王電気軌道(現:京王電鉄京王線)は、1910年(明治43年)9月21日、資本金125万円(払込資本金31万2500円)で設立、本店を東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字山谷291番地に置いた[9]。京王のバスの歴史は1913年4月15日、京王線の笹塚 - 調布間の開通と同時に、未成区間の新宿駅 - 笹塚駅間および調布駅 - 府中 - 国分寺駅間に、5両の車両で乗合バスを開業したことに始まる。これらは東京における最初のバス営業である。この路線は暫定的な輸送手段の色合いが濃く、1914年に調布駅 - 国分寺駅間が運休(のち廃止)、1915年には新宿駅 - 笹塚駅間も鉄道開業にともない廃止され、いずれも短期間で幕を下ろしている[10][11][12]。
京王が再びバス事業に乗り出すのは、昭和初期のことである。1924年(大正13年)10月に、笹生万吉[13]が万歳自動車の名義で甲州街道の新宿三丁目 - 新町 - 代々幡間にバスを開業させた。その後路線を烏山・調布を経て多磨村の東京市営公園墓地(現・多磨霊園)まで延長していた。1927年5月31日、堀内良平等の手により甲州街道乗合自動車が設立され[14]、笹生の事業を引き継いだ。甲州街道に並行して軌道線をもつ京王電気軌道は、万歳自動車の発展を脅威と感じていたため、甲州街道乗合自動車の設立時に同社株の過半数以上を取得して関連会社とした。
甲州街道乗合自動車はその後、1930年(昭和5年)8月5日には千駄ケ谷駅 - 原宿駅間、および新町 - 青山四丁目間の神宮乗合自動車(1928年(昭和3年)2月23日開業)を、1935年(昭和10年)頃には武蔵小金井駅から多磨霊園北門までと、小金井橋を経て旧五日市街道を東は柳橋、西は喜平橋まで結んで営業していた小金井乗合自動車(鴨下正義と島崎橘之助が1930年(昭和5年)4月1日に開業。別名・小金井モーターバス[15])を、1937年(昭和12年)7月24日には東京市内の新宿一丁目から音羽九丁目までの路線を持つ山之手乗合自動車(中村融一が1925年(大正14年)8月24日に山之手乗合自動車商会として開業し、1934年9月13日に株式会社を設立)をそれぞれ買収して営業権と資産を譲受したことで甲州街道乗合自動車の路線網は、甲州街道沿いにとどまらず広範囲にわたっていた[10]。
1937年12月1日に京王電気軌道は甲州街道乗合自動車を完全買収して事業の一切を吸収した。これにより京王電気軌道自動車課および同課笹塚営業所が設置され、軌道先行バスの廃止以来22年ぶりに直営バス事業が再開された[10]。これが現在の京王電鉄バスグループにつながる源流となる。さらに甲州街道乗合自動車買収の同日に、高尾遊覧自動車も買収した。当時の京王電気軌道直営の「京王バス」のカラーリングは、水色地に白色帯であった。
多摩地域では、1938年(昭和13年)3月21日に八王子市街自動車を買収[16]して、6月1日に事業を吸収。八王子市内に京王のバスが走るようになった。翌1939年(昭和14年)には甲州街道沿いの南多摩郡横山村散田(現:八王子市並木町)に八王子営業所を設置した[17]、[18]。
また、1938年(昭和13年)7月16日には高幡乗合自動車(高幡不動 - 立川間。矢島只市が1926年(大正15年)7月23日に開業[19])、1939年(昭和14年)3月1日には由木乗合自動車(八王子 - 由木 - 相原間。石井善蔵が1929年(昭和4年)11月25日に開業[20])を買収し、事業を吸収している[10]。
京王電気軌道はこれら直営バス事業に繋がる路線以外にも積極的に周辺事業者の買収を進め、1935年(昭和10年)8月10日には板橋乗合自動車(1919年2月19日開業)を買収して東都乗合自動車を玉川電気鉄道と共に設立し、また1936年(昭和11年)2月15日には玉川電気鉄道と共に鳩ヶ谷自動車(1916年6月19日設立。いずれも国際興業バスの前身)を傘下に収め、勢力を埼玉県南部にまで拡大させた。一方、1937年(昭和12年)6月25日[21]に藤沢自動車(1931年2月17日設立。神奈川中央交通の前身)を買収して神奈川県下にも勢力を拡げ、同年7月13日に中野乗合自動車(1925年11月10日開業。関東バスに合併)とことごとくバス事業者を系列化した[10]。その後1940年には進運乗合自動車(1920年2月開業。関東バスに合併)を、1942年には昭和自動車商会(1927年3月15日開業。関東バスに合併)をそれぞれ買収するなど、バス事業者としても都内有数の事業者として勢力を強めていった[10]。
しかしその矢先に大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発し、1942年2月1日には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合のため、新宿以東の山手線内の以下3区間が東京市へ譲渡された。
京王電気軌道以外のバス事業
京王電気軌道が直営で運行していたバス路線のエリアは、おおむね甲州街道上または新宿区十二社周辺および、現在の多摩地域であった。
現在の京王バス中野営業所および永福町営業所が管轄する路線の多くは、東京横浜電鉄(東急東横線の前身)傘下の東横乗合(東急バスの前身)が、中野・杉並両区内の事業者を統合して運行していたものである。
東横乗合は恵比寿駅 - 田町駅間を運行していたエビス乗合自動車が、1929年(昭和4年)8月19日に東京横浜電鉄の傘下に入り、同年11月21日に同系の代々木乗合自動車を合併して商号変更した会社で、同時に同社直営の中目黒線(大橋 - 大鳥神社間)を譲受した。
このうち代々木乗合自動車は1920年(大正9年)12月25日加藤義満や伊崎捨次郎、瀬戸喜重郎ら地元の有力者が設立した会社で、渋谷駅 - 三角橋(松陰学院前)間を開通させ、翌1921年(大正10年)6月30日にはこれを東北沢を経て幡ヶ谷まで延伸したが業績は芳しくなく、1922年(大正11年)8月19日東京乗合自動車(青バス)にいた近藤富次郎が専務に就任し再建に成功。さらにその同年12月23日には三角橋 - 淡島間(のち廃止)、同月29日には大向 - 代々木西原町間(のち初台まで延長)をそれぞれ開通。1928年(昭和3年)に幡ヶ谷自動車(1925年(大正14年)12月21日創業)を合併して幡ヶ谷から中野登記所(のちの千代田町、現・新橋通り)まで延伸した。
東京横浜電鉄の傘下に入ったのは、同社の代表者である五島慶太と近藤の個人的な繋がりによるもので、五島は近藤とともに代々木乗合自動車の役員に就任していたが、近藤の専務就任も五島の推薦によって実現していた。東横乗合成立後も近藤は東横乗合の役員に収まって戦前の東京横浜電鉄のバス事業を支え続けた。
その後路線は現在の中野・杉並区内を延伸し、川島(現・川島通り)から十貫坂上・鍋屋横丁を通り中野駅までや、十貫坂上で分かれて救世軍診療所前を経て堀ノ内まで、東京高校前から上ノ山(南台三丁目付近)を経て大宮八幡にまでそれぞれ達した。1932年(昭和7年)12月8日には堀ノ内 - 武蔵小金井駅間、井の頭公園 - 牟礼間を運行していた城西乗合自動車商会(1929年(昭和4年)5月20日に稲垣譲が創業[22])を買収。1936年(昭和11年)6月1日には中野坂上 - 中野駅 - 沼袋駅 - 練馬駅間を運行していた大正自動車(1925年(大正14年)3月27日に利根川久衛、飯塚宗次郎、青柳文治等が設立)を合併して現在の練馬区まで路線を拡げた。大正自動車もまた、買収当時の代表者の児玉衛一が五島とは同郷でかつ旧制松本中学校の同窓生だった繋がりがあった。
東京横浜電鉄は1936年(昭和11年)11月1日に東横乗合を吸収合併して東京市内のバス事業を直営化した。
一方、これより先現在の三鷹線(鷹64系統)の原型路線である大宮八幡 - 武蔵小金井駅間、井の頭公園 - 牟礼 間の2路線は、不採算のため1935年4月8日に東横乗合から帝都電鉄(京王井の頭線の前身)に譲渡され、帝都電鉄バスとして運行されることになった[10]。1940年(昭和15年)5月1日、帝都電鉄は同じ鬼怒川水力電気系の小田原急行鉄道に合併されるが、同年12月1日をもって旧帝都電鉄バスの2路線は運休となった[23]。なお、1941年(昭和16年)3月1日電力国家管理に伴い主業を失った鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を吸収合併して小田急電鉄と改称しているが、バス路線も休止中のまま同社に継承された。
1939年(昭和14年)10月1日、東京横浜電鉄は姉妹会社の目黒蒲田電鉄に合併するが、同月16日に目黒蒲田電鉄が逆に東京横浜電鉄に改称。1942年(昭和17年)5月1日、東京横浜電鉄は京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併して東京急行電鉄に改称。「大東急」が成立した。
上述の通り、東京急行電鉄は1944年(昭和19年)5月31日に京王電気軌道を合併したが、さらに8月1日には旧・京王電気軌道の路線に接続する府中乗合自動車商会(府中 - 国分寺間。1932年(昭和7年)1月13日に千葉諒祐[24]が設立し、2月18日に開業。1935年(昭和10年)10月4日に高柳勝治[25]に譲渡)を買収して事業を吸収した。
年譜
京王電軌・大東急時代(1913 - 1948)
- 1910年9月21日 - 京王電気軌道、資本金125万円(払込資本金31万2500円)で会社設立、本店を東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字山谷291番地に置く[9]。
- 創業の地・代々幡村と京王の関わりについては「代々幡町#代々幡村と京王電鉄」を参照。
- 1913年4月15日 - 京王電気軌道、鉄道未成区間の補助として、新宿駅 - 笹塚駅間および調布駅 - 府中 - 国分寺駅間で乗合バスを開業[7]。
- 1914年2月1日 - 調布駅 - 府中 - 国分寺駅間の乗合バスを運休。そのまま廃止。
- 1915年2月15日 - 新宿駅 - 笹塚駅間の乗合バス、鉄道開業に伴い廃止。
- 1927年10月28日 - 京王電気軌道の本社ビル「京王新宿ビルディング」完成。新宿追分駅をビル1階へ移転し、本社を代々幡から新宿へ移転[9]。
- 1935年4月8日 - 帝都電鉄、東横乗合から一部路線(大宮八幡前 - 武蔵小金井駅間、牟礼 - 井の頭公園間)を譲受して乗合バス事業を開始。
- 1937年12月1日 - 甲州街道乗合自動車(新宿駅 - 八王子駅 - 高尾山間他)を完全買収し事業一切を吸収。京王電気軌道自動車課および同課笹塚営業所を開設[10]。京王電気軌道の乗合バス事業が復活する[7]。
- 1938年
- 1939年3月1日 - 由木乗合自動車株式会社(八王子 - 由木 - 相原間)を買収し、事業を吸収[7]。
- 1942年2月1日 - 陸上交通事業調整法に基づく戦時統合のため、東京市内(山手線以内)の路線を東京市へ譲渡[7]。
- 1944年
京王帝都・京王電鉄直営時代(1948 - 2002)
- 1948年
- 1949年
- 1951年
- 1953年7月21日 - 新宿営業所を新設[7]
- 1955年12月10日 - 笹塚営業所が世田谷区へ移転、世田谷営業所(1970年12月1日廃止、永福町営業所へ統合)となる[7]。
- 1958年
- 1960年
- 1962年1月16日 - 小金井支所が府中営業所より独立、小金井営業所となる[7]。
- 1963年1月16日 - 練馬営業所を新設[7](1975年9月1日廃止、中野営業所へ統合)。
- 1964年
- 1967年
- 1968年8月 - 府中営業所桜ヶ丘支所が桜ヶ丘営業所に昇格[27]。
- 1970年
- 1971年
- 1972年
- 1973年3月 - 本社観光バス課と観光バス営業所を一本化し、観光バスセンターを設立[26]
- 1974年10月 - 中野営業所で無担当車制を正式導入。他の営業所でも担当車制を順次廃止、1978年中には完了[26]。
- 1975年
- 1976年
- 1977年 - 京王帝都電鉄(当時)八王子営業所高尾車庫を開設。寺田支所の前身となる。
- 1980年4月16日 - 路線バスで深夜バスの運行を開始[7]。
- 1981年11月4日 - 高尾車庫を閉鎖し、八王子営業所寺田車庫を開設。
- 1983年7月 - 桜ヶ丘営業所多摩車庫を開設。
- 1984年4月2日 - 桜ヶ丘営業所を多摩車庫へ移転して多摩営業所とする[7]。同時に、桜ヶ丘営業所は多摩営業所桜ヶ丘車庫に降格[27]。
- 1986年8月20日 - コミュニティバス「日野市ミニバス」の運行を開始[7]。ミニバス用に日野・レインボーRBを導入。
- 1988年9月2日 - 路線バスに機械式AT車を初導入[7]。
- 1989年
- 4月2日 - 京王八王子駅が地下化[7]。
- 6月28日 - バス運行管理システム導入完了[7]。
- 10月14日 - 夜行高速バスに参入、新宿駅西口 - 高松線「ハローブリッジ号」運行開始[7](1996年10月、西東京バスに移管)。
- 12月11日 - 深夜急行バスに参入、新宿駅西口 - 京王八王子駅間で運行開始。
- 12月20日 - 京王八王子高速バスターミナルが完成[7]。
- 12月22日 - 京王八王子高速バスターミナル発着の中央高速バス八王子 - 沼津線「スキッパー号」運行開始。富士急行と共同運行(1996年7月路線廃止)[7]。
- この年[要出典]、東京オペラシティタワー建設のため、新宿営業所の跡地にあった観光バス営業所が廃止。
- 1990年
- 1991年9月17日 - 京王八王子駅バスターミナル(一般路線バスのりば)使用開始[7]。
- 1992年
- 1993年
- 1994年8月26日 - 路線バスにワンステップバスを導入[7](日産ディーゼル・JP)。
- 1995年8月28日 - 路線バスに車椅子用スロープ板付き超低床バスを導入[7]。
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 2000年
- 2001年
京王電鉄バス時代(2002 - )
- 2002年
- 2002年
- 2003年
- 3月4日 - 京王バスが、空港連絡バス羽田多摩センター線を運行開始[7]。
- 4月1日 - 京王バスとおんたけ交通の共同運行で、中央高速バス木曽福島線を運行開始[7]。
- 4月25日 - 京王バスが、空港連絡バス調布成田線を運行開始[7]。
- 5月14日 - 京王電鉄バスが京王バス中央株式会社を設立[7]、京王電鉄バス府中営業所内に併設。
- 10月1日 - 京王バスは京王バス東株式会社、南大沢京王バスは京王バス南株式会社へそれぞれ商号変更[7]。京王電鉄バスの府中地区路線の一部を京王バス中央へ、八王子西南部地区路線を京王バス南へそれぞれ移管。
- 12月10日 - 京王バス東と神姫バスの共同運行で、夜行高速バス新宿姫路線を運行開始[7]。
- 2004年12月10日 - 京王バス小金井株式会社を設立[7]。
- 2005年11月16日 - 京王バス小金井が営業開始[7]。京王電鉄バス府中営業所より小金井地区の路線の一部を移管される。
- 2007年
- 2008年8月1日 - 京王電鉄バス多摩営業所内に、京王バス南・多摩営業所を併設。
- 2010年7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。
- 2011年
- 2012年
- 2013年
- 1月 - 京王の電車・バス開業100周年記念行事を実施[7]。
- 3月23日 - 交通系ICカード全国相互利用サービス開始。
- 4月14日 - 京王の電車・バス開業100周年記念「旧塗装バスお披露目会」が八王子営業所で開催[29]。
- 4月15日 - 京王電気軌道(鉄道・バス)開業から100周年を迎える。
- 8月12日 - ハイブリッドバス(いすゞ・エルガハイブリッド)導入開始[7]。
- 2014年
- 4月14日 - 京王バス南・南大沢営業所寺田支所設立。京王電鉄バス八王子営業所寺田車庫を、京王バス南に移管する形で開設。
- 4月28日 - 京王電鉄バス株式会社および京王電鉄バスグループ各社の本社を、京王バス府中営業所に隣接する「京王府中晴見町ビル」へ移転[7]。
- 7月22日 - 京成トランジットバスと京王バス東の共同運行で、高速バス調布TDR線を運行開始[7]。
- 2016年
- 2017年
- 2018年
- 2019年
- 10月1日 - 京王バス南・南大沢営業所寺田支所を営業所へ昇格、京王バス南・高尾営業所[34][35]に改称。同時に、高速バス専用の営業所であった京王バス東・世田谷営業所(2代)を永福町営業所へ統合[36]、京王バス東・永福町営業所世田谷車庫に改称。
- 11月16日 - 京王電鉄バス桜ヶ丘営業所内に京王バス中央・桜ヶ丘営業所を開設。
- 2020年10月1日 - 京王バス南株式会社が京王バス東株式会社・京王バス中央株式会社を吸収合併し、(2代目)京王バス株式会社に商号変更[37]。
- 2021年
- 2022年
京王では、バス事業の抜本的な経営効率化を図るため、京王帝都電鉄時代の1997年4月1日に(初代)京王バス株式会社を設立して以来、段階的分社方式により、子会社への路線移管を進めてきた[45]。
バス事業が完全に電鉄会社から切り離された現在、これらの会社は京王電鉄バスの子会社に位置づけられており、自社路線のほか京王電鉄バスからの委託路線も運行する。京王電鉄バスが運行していた高速バスは段階的に京王バス東に移管し、2018年9月3日の仙台線、飛騨高山線、長野線、松本線の移管により全面移管が完了した。
京王バス(初代)の設立以降、子会社各社では乗務員の接遇教育に力を入れており[45]、運転だけでなく接客対応をはじめ営業に関すること全般を職務とするとして、乗務員を「営業係」と称している[46]。
2020年6月9日に行われた株主総会にて、同年10月1日を効力発生日として京王バス東・京王バス中央・京王バス南の子会社3社が合併することを決議した[47][48][49]。この再編について「経営の効率を高め、経営資源の配分をより柔軟に行うため」としている[37]。合併にあたっては京王バス南が存続会社となり[47]、京王バス東と京王バス中央の2社は吸収合併されて法人を解散する[48][49]。なお本内容が発表された8月3日付の電子公告では合併後の新社名や京王バス小金井の扱いについて記載されていなかったが[47][48][49]、その後のリリースで合併後の新社名については「京王バス株式会社」とし、京王バス小金井についてはそのまま存続することが発表された[5]。そして予定通り10月1日に3社が合併し、(2代目)京王バス株式会社が発足した[37]。
その後、2022年4月1日付で京王電鉄バスが京王バス小金井を吸収合併し、小金井営業所は京王電鉄バスの営業所となった[44]。
子会社は2022年4月現在、以下の1社が営業している。
京王バス
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
2001年12月17日 (南大沢京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7013401002375 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役社長 宮坂周治 |
資本金 | 8000万円 |
純利益 |
9200万円 (2023年3月期)[50] |
総資産 |
40億4600万円 (2023年3月期)[50] |
従業員数 | 1640人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス 100% |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/outline/gaiyo/minami.html |
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京王バス株式会社(けいおうバス)は、路線バス・貸切バス事業を行う京王電鉄バスの子会社である。2020年10月1日に京王バス東・京王バス中央・京王バス南の3社が合併して発足した[37]。
一般路線バスや高速バスの運行のほか、以下のコミュニティバスの受託運行も行っている。
- 中野営業所
- 永福町営業所
- 調布営業所
- 多摩営業所
- 府中営業所
- 京王バス(中野営業所)の一般路線バス
- 京王バス(桜ヶ丘営業所)の一般路線バス
- 京王バス(南大沢営業所)の一般路線バス
- 京王バス(府中営業所)の一般路線バス
過去の子会社
京王バス東
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
1997年4月1日 (京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1013401001069 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山 荘 |
資本金 | 2億5000万円 |
純利益 | 5億6400万円(2020年3月期)[51] |
総資産 | 32億7100万円(2020年3月期)[51] |
従業員数 | 725人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
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京王バス東株式会社(けいおうバスひがし)は、1997年4月1日に京王バス株式会社(初代)として設立された最初の分離バス子会社であり、同年10月1日より調布営業所の一部路線を当時の京王帝都電鉄から譲渡されて営業を開始した。その後都区内でも、1998年10月16日より永福町営業所、2000年より中野営業所の路線の譲渡・委託を受け、段階的に分社化を進めた。最終的に3営業所の全ての運営業務を行うようになり、京王電鉄バスからの委託路線は無くなっていた。
2003年10月、京王バス東株式会社に商号変更した。世田谷営業所は高速バス・深夜急行バスのみを担当していたが、2019年10月1日より永福町営業所へ統合され、永福町営業所世田谷車庫となった。
京王バス南
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
2001年12月17日 (南大沢京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7013401002375 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山荘 |
資本金 | 8000万円 |
純利益 | 1億1900万円(2020年3月期)[53] |
総資産 | 13億8900万円(2020年3月期)[53] |
従業員数 | 406人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
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京王バス南株式会社(けいおうバスみなみ)は、多摩ニュータウン南大沢地区における旅客サービスの向上を図るべく、2001年12月に南大沢京王バス株式会社の商号で設立され、翌2002年4月1日に営業を開始した。その後、営業地域の拡大と子会社間の社名整合化のため、2003年10月に京王バス南株式会社へ変更した。
発足当初の管轄営業所は南大沢営業所のみであったが、2008年8月1日に多摩営業所、2014年4月14日に寺田支所(現:京王バス高尾営業所)が営業を開始した。
2020年3月31日時点での車両数は207台、従業員数は410人[54]。
京王バス中央
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 | 2003年5月14日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1013401002570 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山 荘 |
資本金 | 6000万円 |
純利益 | 2億1600万円(2020年3月期)[55] |
総資産 | 11億3600万円(2020年3月期)[55] |
従業員数 | 267人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
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京王バス中央株式会社(けいおうバスちゅうおう)は、府中市を中心とする多摩地域中部を担当していた子会社であり、当初は府中営業所のみを有していた。2003年4月に設立され、同年10月に営業を開始した。2008年4月1日、京王電鉄バス府中営業所が廃止され、京王バス中央に統一された。京王電鉄バスおよび子会社各社の本社も、府中駅前から府中営業所内の本社ビルへ移転している。
2019年11月16日、京王電鉄バス桜ヶ丘営業所内に京王バス中央・桜ヶ丘営業所を開設した。
2020年3月31日時点での車両数は126台、従業員数は305人[56]。
京王バス小金井
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 | 2004年12月10日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9013401004452 |
事業内容 | 乗合バス事業 |
代表者 | 代表取締役 正殿 真司 |
資本金 | 2000万円 |
純利益 |
▲6800万円 (2022年03月31日時点)[57] |
総資産 |
1億7100万円 (2022年03月31日時点)[57] |
従業員数 | 65人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス 100% |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/outline/gaiyo/koganei.html |
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京王バス小金井株式会社(けいおうバスこがねい)は2004年11月に設立された。翌2005年11月、京王電鉄バスの小金井地区における路線の一部を移管されて営業を開始した。営業所は小金井営業所のみで、コミュニティバスの運行受託は行っていない(小金井市コミュニティバスは京王バス府中営業所が担当)。
新車は京王電鉄バスと同じ京王電鉄バスカラー(CIカラー)の車両が配属される。ただし他の営業所からの転属車は塗装変更されないため、京王バスカラーの車両も混在する(この点は他の営業所も同様)。
2020年3月31日時点での車両数は31台、従業員数は65人[58]。