人工知能の歴史
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人工知能の歴史は、古代の神話における神のごとき名工が、人工物に知性や意識を授けたという逸話にまでさかのぼることができると言われる。英文学修士であり技術哲学・科学哲学の作家でもあるパメラ・マコーダック(英語版)は、人工知能(AI)の起源について「神を人の手で作り上げたいという古代人の希望」が起こった時と表現している[1]。
現代的な意味での人工知能は、人間の思考過程を記号の機械的操作として説明することを試みた哲学者に始まる。1940年代に数学的推論の抽象的本質にもとづいたマシン、プログラム可能なデジタルコンピュータの発明もその延長線上にある。この装置とその背後にある考え方に触発された科学者はほんの一握りだったが、それでも彼らは電子頭脳を構築する可能性を真剣に議論しはじめた。
人工知能の研究が学問分野として確立したのは、1956年夏にダートマス大学のキャンパスで開催された会議がきっかけである。その後のAI研究を牽引したのがこの会議の参加者たちであり、彼らの多くは、人間と同程度に知的なマシンが自分たちが生きているうちに出現するだろうと考え、むしろそのビジョンを実現させるためにあらそって数百万ドルの資金を獲得した。しかしその結果明らかになったのは、彼らのプロジェクトが当分は実現できいであろうという予測だった。1973年にはジェームス・ライトヒル(英語版)が主導したて政界から圧力がかかり、アメリカでもイギリスでも成果の見えない人工知能関連の研究への出資を終了した。それでも日本では官民問わず500億円以上の資金が人工知能の研究に注がれたが、やはり成果は出ず失望した投資者たちは80年代末には資金をひきあげた。このように人工知能をめぐる「夏と冬」は繰り返されてきたといってよい。しかし現代でも人工知能については「大胆な」予測をする人々は後をたたない[2]。
官僚やベンチャー・キャピタリストの間で評価がいりみだれてきたにもかかわらず、実際に人工知能の研究は発展しつづいている。1970年代には解決不可能と思われていた問題にも糸口が見つかり、具体的な商品にも応用されるようになっていった。しかし、第一世代の人工知能の研究者らの楽観的予測に反して、強いAIを持つマシンの構築は実現していない。1950年の有名な論文でも、アラン・チューリングは「我々はほんの少し先しか見ることができない」と認めていた。「それでも」と彼は続けている。その少し先に「我々がなすべきことが数えきれないほど浮かんでくる」[3]