仙台駅
宮城県仙台市青葉区にある東日本旅客鉄道・仙台市交通局の駅 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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かつて存在した宮城電気鉄道の駅については「仙台駅 (宮城電気鉄道)」をご覧ください。 |
鹿児島県にある「川内駅 (鹿児島県)」とは異なります。 |
仙台駅(せんだいえき)は、宮城県仙台市青葉区中央にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅。
仙台駅 | |
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西口(2023年8月) | |
せんだい Sendai | |
仙台駅の位置関係。右は仙石線仙台駅、左から2番目は上から仙台市地下鉄南北線、東西線、最左はあおば通駅。 | |
所在地 | 仙台市青葉区中央 |
所属事業者 | |
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JR東日本の駅は青葉区中央一丁目を所在地としているが、東口および一部ホームが宮城野区榴岡一丁目に跨っている。また、仙台市地下鉄東西線のホームは青葉区中央三丁目となっている。
東北地方最大の都市仙台市の代表駅。
東北新幹線(秋田新幹線・北海道新幹線直通を含む)は当駅を通る全営業列車が停車する。仙台都市圏と首都圏との間の高速アクセス手段は、東北新幹線が大宮駅 - 上野駅間を延伸開業した1985年に、航空路線の仙台空港 - 羽田空港便が廃止されてからは、新幹線が独占的に担っており、当駅の新幹線利用客は1日平均4万人以上となっている。在来線は後述するように、仙台周辺の宮城県内の各都市や仙台空港・山形市・福島市・南相馬市・一関市・石巻市などとを結ぶJR各線が発着する。
市内各所を結ぶ仙台市地下鉄も2路線乗り入れ、東北地方最大のターミナル駅となっている。市内中心部に向かうペデストリアンデッキ(歩行者用デッキ)が張り巡らされた西口を中心に商業施設が充実しており、「ショッピング、食事、ホテル等の施設も充実し、文化の発信基地としての役割も担う駅」として、東北の駅百選に選定された。
仙石線を除くJR在来線の軌道敷は、北は宮城野橋(X橋)付近から南は北目町ガード(六道の辻)付近まで及び、仙石線仙台駅は仙台トンネル内を仙台駅東口駅前広場の地下から宮城野通西端地下まで及ぶ。地下鉄仙台駅は、南北線が愛宕上杉通地下を北は中央通から南は仙台駅西口バスターミナルまで(仙石線あおば通駅と青葉通地下で直結)、東西線が南町通地下を通っている。
所在地の住居表示
- JR仙台駅 - 仙台市青葉区中央一丁目1番1号
- 仙石線ホームは、宮城野区域に所在
- 仙台市地下鉄
- 南北線 - 仙台市青葉区中央一丁目10番10号地先
- 東西線 - 仙台市青葉区中央三丁目5番6号地先
乗り入れ路線
- JR東日本
- 新幹線
新幹線は線路名称上は東北新幹線のみであるが、当駅には東北新幹線の列車の他、北海道新幹線直通列車や秋田新幹線直通列車も停車する。また、山形新幹線の運行区間である奥羽本線(山形線)内での悪天候や動物との接触事故などで運転できない場合は、山形新幹線のつばさ号が当駅に乗り入れることがある。
- 在来線
在来線は次の各線が乗り入れる。
- 東北本線 - 当駅開業時からの路線であり、当駅の所属線となっている[1]。
- 仙山線 - 当駅を起点とし、山形駅までを結んでいる[注 1]。
- 仙石線 - 石巻駅までを結んでいる。かつては当駅が起点であったが、地下化と同時に起点は1つ隣のあおば通駅となり、当駅は途中駅となった。
正式な線路名称上は以上の3路線であるが、東北本線を介して以下の路線も乗り入れる。
- 常磐線 - いわき市などの 福島県浜通りや茨城県、千葉県北西部を経由して東京都へ至る。岩沼駅から東北本線経由で乗り入れる。2020年3月14日より、東日本大震災及び原発事故の影響で長らく運転を見合わせていた常磐線特急が乗り入れを再開したことにより、特急ひたち号(品川駅発着列車)が「上野東京ライン」運転系統の最北端の駅となる。
- 仙石東北ライン - 仙石線高城町駅以東から、仙石線・東北本線接続線、東北本線を経由して乗り入れる列車の愛称。当駅を起点としている。
- 仙台空港鉄道仙台空港線 - 仙台空港とを結ぶ空港連絡鉄道。名取駅から東北本線経由で全列車が乗り入れ、全区間に「仙台空港アクセス線」の愛称が付けられている。
- 阿武隈急行阿武隈急行線 - 槻木駅から東北本線経由で一部列車が乗り入れる。土休日は、「ホリデー宮城おとぎ街道号」との列車名が付される。
- 陸羽東線 - 奥羽本線新庄駅を始点とし、小牛田駅から東北本線経由で土日祝日のみ「快速湯けむり号」が乗り入れる。
- 仙台市地下鉄
明治期から終戦時まで
江戸(東京) - 仙台の所要時間は、江戸時代には上りが約半月かかった[2](仙台藩の参勤交代では8-9日間[3])。1876年(明治9年)の奥羽巡幸[4] において明治天皇が馬車で各地を回ると、1877年(明治10年)に仙台・国分町と岩沼とを結ぶ馬車会社が開業し、さらに馬車会社の万里軒が1881年(明治14年)に仙台 - 白石、1883年(明治16年)に仙台 - 福島の運行を開始した[5]。このような都市間乗合馬車を乗り継くことで、東京 - 仙台の所要時間は3泊4日に短縮された[2]。
明治時代の中頃に、現在の東北本線の前身に当たる日本鉄道は東京を起点に青森へ向けて鉄道路線を順次建設していった。この中で仙台に駅が置かれることになったが、その位置を巡って問題が起きた。日本鉄道は当初、他の多くの都市と同様に仙台市街地端へ駅を設けようとした。1886年(明治19年)4月に鉄道局長官の井上勝と日本鉄道社長の奈良原繁が宮城県を訪れ、仙台における停車場を宮城郡南目村薬師堂北裏に設けることを、当時の宮城県県令松平正直に伝えた[6]。これはおおよそ現在の東北本線宮城野貨物支線の仙台貨物ターミナル駅付近に当たる[7]。しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた地元商人がこれに反対し、費用負担を申し出て日本鉄道に停車場位置の変更を求めた[7]。これが仙台区のほとんどの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった[8]。一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていた[9]。最終的には松平も変更を支持し、地元の費用負担なく東六番丁通の現在位置に決定した[10]。
仙台駅は1887年(明治20年)12月15日に開業した[注 2]。このとき、東京府の上野駅から宮城県の塩竈駅まで路線が通じ、上野駅と仙台駅は12時間20分で結ばれた[11]。初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、幅35メートル、奥行き8メートル、面積236平方メートルであった[12]。また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった[13]。仙台駅の開業日には祝賀列車が運転された。この列車は井上勝や内務大臣山縣有朋、大蔵大臣松方正義らを乗せて、当日の朝に上野駅を出発した。仙台駅への到着予定時刻は19時30分だったが、福島県から宮城県南部にかけての天候が大雪だったために、結局この祝賀列車は22時25分に仙台駅へ入った。このため、駅に降り立った山縣の機嫌は良くなかったと伝わっている[14][15]。また、鉄道開通の影響で、鉄道と並行する都市間乗合馬車は急速に衰退して廃業し[2]、仙台 - 塩竈間に並行していた馬車軌道の木道社(宮城木道)も廃業に追い込まれた。
1894年(明治27年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407平方メートルという、当時としては大きく立派なものとなった[16]。この駅舎は増築や改築が重ねて行われ、1945年(昭和20年)に仙台空襲で焼失するまで使用された。
1906年(明治39年)に日本鉄道は国有化され、国有鉄道の東北本線となった。1926年に上野 - 仙台間の所要時間は8時間弱となり、乗降客数は1928年(昭和3年)に1日平均9,649人を数えた[17]。この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客をさばいたが、貨物では青森駅や塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった[18]。1909年(明治42年)の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した[19]。
1925年(大正14年)に、後に仙石線となる宮城電気鉄道が仙台駅から西塩釜駅まで開業した。これは仙台では初となる電化された鉄道だった。また、1926年(大正15年)11月25日に仙台市電が仙台駅前停留場 - 荒町日赤病院前停留場において開業した。仙台駅前停留場は仙台駅前広場に隣接する駅前通りに設けられた。1929年(昭和4年)には、現在の仙山線の一部に当たる仙台駅から愛子駅までの区間が仙山東線として開業した。
日本初の地下ホーム
宮城電気鉄道は、駅の東側から地下に入り東北本線の西端から西口広場の地下にかけてプラットホームを設置しており、そこから階段を上がると西口に出られるようになっていた。西口には宮城電気鉄道の独自の駅舎が設けられていた[20]。
戦災復興期から高度経済成長期まで
1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で仙台市街は大きな被害を受けた。仙台駅では死者4人が出て駅舎も破壊され、他の駅から資材を回すなどしてバラック建ての駅舎が急造された[21]。終戦直後の仙台駅発着の車両は、石炭不足で削減されて超過密状態で、利用客の8割が食料買い出しに向かう人々であった[22]。その一方で、進駐軍は車両やホームを専用で留め置いて効率的運用を妨げ、その将兵の中には駅員に横暴を働く者もあった[23]。
戦後の復興計画においては、仙台駅をより東側に移した上で駅前に公園と商業施設の設置し、さらに駅の東西を地下道で結ぶ構想があったが、駅舎や鉄道運行に必要な設備の整備が重視されたために、結局それらの構想は実行されなかった[24]。1948年(昭和23年)に新駅舎の建設が始まり、翌1949年(昭和24年)に新駅舎が竣工した。新たに駅前広場へのメインストリートとして青葉通が敷かれ、1950年(昭和25年)に駅前の舗装が完成したことで、駅および駅前広場の復興は一段落した。駅舎は木造モルタル2階建、面積2,023.9平方メートルであった[25]。この駅舎は仮駅舎の予定であったが、結局1972年(昭和47年)まで使用されることになった。
1951年(昭和26年)、東北子供博覧会開催時に、博覧会事務局は駅前広場の一部を11か月の期限付きで借りて建物を作った。しかし、博覧会終了後、河北新報社長菅野千代夫を社長とする河北実業株式会社が設立され、土地の賃借権を主張して返還を拒み、建物を店舗用に賃貸した。これが駅前ショウハウスである。地元有力紙の関連企業を相手にした明け渡し交渉は難航し、1972年(昭和47年)までそのままとなった[26]。
1952年(昭和27年)には、この年に宮城県、山形県、福島県で共催された第7回国民体育大会にあわせて、仙台駅の仙石線ホームが改修された。この時までの仙台駅は線路の西側に駅舎を持ち、その反対の東側には駅舎がなかった。国体では仙台駅の東側にある宮城野原公園総合運動場が主要会場の一つとされ、ここへの交通の便を図るために、仙石線ホームの東側への移設および東口の併設が行われたのである[24]。同年6月1日に仙石線の地下ホームへの列車の発着が廃止され、工事のための運休を経て、9月26日から仙台東口仮乗降場として使用していた設備を仙台駅仙石線ホームとして列車が運転されるようになった[20]。これに伴い、宮城電気鉄道時代から用いられていた地下鉄道区間は旅客の連絡通路に転用され、また仙台駅仙石線ホームと近接することになった仙台東口駅は廃止された[24]。1953年(昭和28年)になると、仙台駅の本格的な復興案が発表された。しかし、これと関連していた仙台市のビジネスセンター構想が頓挫し、仙台市の都市計画がもつれて定まらなかったために、仙台駅の復興計画も進まなかった。後の1966年(昭和41年)に、宮城県や仙台市などが仙台駅を民衆駅とする計画を国鉄に申し入れたが、両者の間で折り合いがつかずこの民衆駅案も実を結ばなかった[24]。
戦後の復興計画の中では、仙台駅の貨客分離も計画されていた。これは1946年(昭和21年)に決まったもので、仙台駅前後の曲線区間を避ける形で長町駅と東仙台駅の間を短絡する宮城野貨物線を敷き、そこに貨物駅を設置し、仙台駅を旅客専用にするというものだった。その後、貨物取り扱いの増加により1958年(昭和33年)に工事が始まり、1961年(昭和36年)に宮城野駅が開業した。これに伴い、仙台駅は貨物の取り扱いを廃止した[27][28]。
また、仙台駅は車両基地設備を併せ持つ駅だったが、仙台駅の既存の設備では増大する車両を捌くのが難しくなり、1963年(昭和38年)に仙台駅と東仙台駅の中間に仙台運転所が設置された。この車両基地は1966年(昭和41年)に全面的に完成して、仙台駅を発着する電車はここに収容されるようになった。逼迫していたのは車両収容設備だけでなく、旅客を捌くプラットホームもだった。1967(昭和42年)に仙台駅のホームが増設され、旅客扱い用の線路が5番線から7番線へ拡張された[新聞 1]。1968年(昭和43年)には仙台駅の機関車が長町機関区に移された。仙台駅から蒸気機関車が姿を消したのはこの頃だった[29]。
新幹線の登場まで、仙台駅に停車する急行・特急は少しずつ速くなっていった。上野駅 - 仙台駅間の所要時間でその一部を拾うと、戦時中の1945年(昭和20年)1月に急行202列車は8時間33分かかっていた。初の特別急行列車である特急「はつかり」は、1958年(昭和33年)の登場時に5時間25分で走った。1965年(昭和40年)には、東北本線の電化により常磐線を経由しない特急電車「ひばり」が現われ、4時間35分とした[30]。1968年(昭和43年)10月のヨンサントオと呼ばれるダイヤ改正で、「ひばり」の最速列車は上野・仙台間の所要時間を3時間53分まで短縮したが、後に停車駅の増加と首都圏における列車本数の増大に伴って所要時間は再び4時間台に戻った[31]。
東北新幹線と新駅舎
1970年(昭和45年)になって東北新幹線の建設が具体性を帯びると、新幹線の停車駅として仙台駅、長町駅、貨物駅である宮城野駅の3案が浮上し、「新幹線現仙台駅建設促進期成同盟会」、「新幹線東部地区設置期成同盟会」、「新仙台駅誘致仙南期成会」が結成されそれぞれが誘致運動を行った[32]。これについて日本国有鉄道は現行の仙台駅への新幹線乗り入れを希望し、また、地元の代表者などで構成されるデベロッパー委員会も仙台駅への新幹線停車が望ましいとする意見を表明した。こうして既存の仙台駅に新幹線駅が併設されることになった[33]。
東北新幹線の起工式は1971年(昭和46年)に行われ、これに伴って仙台駅新駅舎の建設計画が進んだ。宮城県、仙台市、国鉄、仙台陸運局、東北地方建設局、仙台商工会議所の6者が基本方針を策定し、宮城県知事山本壮一郎がこれを1972年(昭和47年)に発表した。これには、仙石線の地下化及び仙台駅西口への延伸、駅周辺のペデストリアンデッキの整備、東口の整備などが盛り込まれていた[33]。この年に西口駅前広場に仮駅舎が設置され、翌年に仮駅舎の後方の旧駅舎が取り壊された[33]。新幹線工事のために、1973年(昭和48年)2月1日始発駅発の列車から、深夜に仙台駅を通過する旅客列車は宮城野貨物線経由となり、1978年(昭和53年)10月2日から仙台駅経由に戻った。この間、長町駅に代わりに停車して長町 - 仙台間で代行バスの運転が行われ、また多客期や荷物列車については仙台駅経由が続けられていた[20]。駅前ショウハウスの店子は仮駅舎設置時に強制執行で立ち退かされた[34]。この間、仙台市電は1976年(昭和51年)4月1日に廃止となり、仙台駅前停留所も撤去された。
新駅舎は1977年(昭和52年)に竣工し、新幹線関連部分を除いて、まず在来線の駅として供用を開始した。1978年(昭和53年)には駅併設の商業施設エスパルが開店し[新聞 2]、また駅の東西を横断する東西自由通路が開通した。この時の東西自由通路の規模は幅6メートル、延長90メートルだった[33]。さらに、1981年(昭和56年)から1982年(昭和57年)にかけては東口にバスターミナルが整備された[33]。東北新幹線は1982年(昭和57年)に大宮駅と盛岡駅の間で暫定開業し、この時に新駅舎は全面的に供用を開始した。駅の利用客は1986年(昭和61年)に新幹線と在来線を合わせ1日平均17万5000人となった。
1987年(昭和62年)7月15日、愛宕上杉通下に地下鉄南北線が開業した。1990年代に入るとJR東日本仙台駅構内の東側の留置線が整理され、家電量販店やアミューズメント関連施設の用地となった。2000年(平成12年)3月11日には、仙台トンネル完成に伴い仙石線が地下ホームに移設された。2004年(平成16年)、仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)の開業に先んじ、ホームの改良工事が実施された。1番線と2番線(当時)の間にあった中線を活用するため、2番線(当時)の北側部分(盛岡方面)が埋められて、切欠きホームとなった。中線に接するホームが新2番線となり、旧2番線が3番線に、以降在来線のホーム番号が1つずつ大きい数字に繰り下げられている。2007年(平成19年)3月18日、仙台空港鉄道が開業し、仙台駅への乗り入れを開始した。2008年(平成20年)に入ると、地下鉄東西線開業に向けた工事が本格化していった[35]。
東北地方太平洋沖地震の影響
2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した。JR東日本の仙台駅では新幹線ホームの化粧天井が落下し、駅周囲の地上の歩道では一部の電話ボックスが膝の高さまで沈下するほど波打ち、ペデストリアンデッキも一部変形するなど、広範囲に大きな被害が発生して、営業休止[新聞 3] を余儀なくされ、仙台市地下鉄も設備点検のため運休となった[報道 1]。3月14日、地下鉄南北線が一部区間(台原駅 - 富沢駅)で運転再開したことにより、地下鉄仙台駅は営業を再開。3月25日、またエスパル地下1階「エスパルキッチン」の一部店舗が先行して営業を再開した[新聞 4]。3月28日、仙石線が一部区間(あおば通駅 - 小鶴新田駅)で運転を再開したことに伴い、利用を大幅に制限した上でJR東日本は駅施設の営業を再開した[新聞 5]。続いて3月31日には東北本線下りの一部区間(仙台駅 - 岩切駅)、4月2日には東北本線上りの一部区間(名取駅 - 仙台駅)、4月4日には仙山線が一部区間(仙台駅 - 愛子駅)で運転を再開した。東北新幹線についても運転再開の見通しが立ち、復旧が進んだ。
4月7日、東北地方太平洋沖地震の余震によりJR仙台駅では案内板が崩落、スプリンクラーの誤作動によって浸水するなど再び被害を受けた。これにより、JR東日本・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた[新聞 6]。翌4月8日、地下鉄南北線が一部区間(台原駅 - 富沢駅)で運転再開。4月12日、東北本線上りの一部区間(郡山駅 - 仙台駅)と常磐線の一部区間(亘理駅 - 仙台駅)で運転再開により、再び営業を再開。4月14日に仙山線の一部区間(仙台駅 - 愛子駅)、4月15日に仙石線の一部区間(あおば通駅 - 小鶴新田駅)、4月21日に東北本線下り(仙台駅 - 一ノ関駅)が運転を再開したことで、仙台駅を発着するJR東日本の在来線全てが運転を再開した。
4月25日、震災以降初めて東北新幹線上り(東京駅 - 仙台駅)が運転を再開した。4月29日には下り(仙台駅 - 一ノ関駅)が運転を再開したことで、東北新幹線全線が復旧した。7月23日には仙台空港アクセス線が一部区間(仙台駅 - 美田園駅)で運転を再開したことで、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧した。
地下鉄仙台駅・南2出入口はイービーンズが一部解体工事を行っていたために5月26日から11月18日まで封鎖された[報道 2][報道 3]。
東口再開発
2009年夏、JR東日本は仙台市地下鉄東西線開業に呼応する形で東口一帯の所有地再開発に着手する構想を発表した[新聞 7]。計画の変更等を経て2012年1月、再開発計画を正式発表[36][新聞 8]。再開発予定地に含まれたZepp Sendai及びE-GATE(商業施設)は2012年に閉鎖、解体。2013年3月27日、再開発工事が着工された[報道 4][報道 5]。
これに合わせ、仙台市は西口・東口駅前広場の再整備を行い、バスターミナルの増設や移設・改編等に取り組んだ[新聞 9]。
2021年2月5日開業の「JR仙台イーストゲートビル」の開業をもって、東口一帯の再開発事業が完成となった[報道 6]。
東西自由通路の拡幅
仙台駅の東西をつなぐ自由通路の幅が6 mから16 mに拡幅された[36]。通路は3階層分の吹き抜け構造で[報道 4]、2016年3月18日に完成した[報道 7][新聞 10][新聞 11]。自由通路拡幅の工費の3分の2は、仙台市が負担した[新聞 12]。その後、2016年5月13日 - 6月3日に、JR東日本は東西自由通路の愛称の募集を行い[報道 8]、同年7月1日に同通路の愛称が「杜の陽だまりガレリア」に決定したことを発表した[報道 9]。
商業施設と新改札口の設置
東西自由通路の両側、在来線ホームの上に2棟の商業施設「エスパル仙台東館」が建設された[報道 4][報道 7]。北棟は4階/地下1階建、南棟は6階/地下1階建で、自由通路を合わせた延べ床面積は約43,000平方メートルである。自由通路と同様に、2016年3月18日に完成した[報道 7]。北棟2階部には新改札口(東口)、南棟上層階には約250台分の駐車場が新設された[報道 7]。その後、東館の増床部分が2017年6月1日に開業した[報道 10]。
ホテルメトロポリタン仙台イースト
ホテル棟は、E-GATE跡地に建設された[36]。14階/地下1階建、延べ床面積は約14,000平方メートル、客室は280室である。ホテルメトロポリタン仙台の別館であるが、コンベンション施設やウエディング施設を併設する本館とは異なり、宿泊特化型である。宿泊料金は本館よりも高く設定される見込み[新聞 12]。低層階は商業施設となり、エスパル仙台東館と一体となる[報道 4]。2014年春に着工した[報道 4]。2016年7月28日に、JR東日本と仙台ターミナルビルはホテルの名称を「ホテルメトロポリタン仙台イースト」に決定したことを発表[報道 11] し、2017年6月19日に開業した[報道 12][新聞 13]。
また、同ホテルメトロポリタン仙台、及び同ホテルメトロポリタン仙台イーストは、メトロポリタンホテルズの系列ではあるが、他のホテルメトロポリタンを運営する日本ホテルは運営しておらず、同二つのホテルは、仙台ターミナルビルが運営している。
なお、低層階の商業施設は「エスパル仙台」の東館の増床として2017年6月1日に開業し、仙台駅東西自由通路と東口駅前広場を結ぶ動線も供用された[報道 10]。また、「ホテルメトロポリタン仙台イースト」は、2021年2月17日より、駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」の利用が可能となっている(事前予約制)[37][報道 13]。
JR仙台イーストゲートビル
オフィス棟は、Zepp Sendai跡地に建設された[新聞 14][新聞 15]。13階/地下1階建。2019年2月に「(仮称)仙台駅東口オフィス」として着手した[報道 14]。2020年7月30日に、JR東日本は、同ビルの名称を「JR仙台イーストゲートビル」にすることを発表し[報道 15][新聞 15]、翌2021年2月5日に開業した[報道 6][報道 16][新聞 16]。商業施設「エスパル仙台東館」(1・2階)、世界各国で展開しているコミュニティワークスペース「WeWork」(2・3階)[注 3]、地元住民や来街者向けのイベントを実施するエントランスホール「ダテリウム」(1階)が併設される[報道 15][新聞 15][報道 16]。なお、「WeWork」は先行して2021年2月1日に開業[報道 16]。また、「エスパル仙台東館」にはJR仙台イーストゲートビル郵便局、NewDaysJR仙台イーストゲートビル店[報道 13]、仙台キッチンの3店舗が開業している。このうちNewDaysJR仙台イーストゲートビル店には、駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」のブース型「STATION BOOTH」が併設されている[38][報道 13][報道 16]。なお、NewDays内に「STATION BOOTH」が併設されるのはJR東日本としてはこれが初となる[報道 16]。
JRロジスティックビル ハイフン仙台
2020年4月24日に、JR東日本は、北部高架下や東口に分散していた荷捌き施設や倉庫、グループ会社事務所等を東口に移転・集約し、物流センターを建て替えることを発表した。同年夏頃に既存の「構内営業事務所」の撤去工事、同年秋頃の本体工事の着手を経て[報道 17][新聞 17]、JR仙台イーストゲートビルの北側に「JRロジスティックビル ハイフン仙台」を建設。2021年12月より本格稼働した[報道 18]。西口の高架下の跡地はtekuteせんだいの増床に充てる[新聞 18]。
駅内リニューアル
新幹線連絡改札口の増設(東京方面側)及び移設(新青森方面側)、構内店舗・みどりの窓口の改修、ベビー休憩室の新設などが行われた[報道 4]。2014年4月には、駅舎天井の改修工事が行われた[新聞 19]。仙台城の大広間をイメージした格子天井が、茶色を基調とした色合いとなり、東口再開発とのデザインに連続性を持つ[報道 19]。
また、2015年8月1日には「おみやげ処 せんだい」がリニューアル[注 4]されたほか、「駅弁屋 祭」の出店[報道 21]、同年12月4日には「ずんだ小径」がオープンするなど、駅構内店舗の改装・新規開店も行われた[報道 22][新聞 20]。
2021年4月29日には、1階で展開している「Dila仙台」が「tekuteせんだい」としてリニューアルされている[報道 23][報道 24]。その後、2023年3月28日には「tekuteせんだい」の増床に伴い、新たに6店舗が開業した[報道 25]。
仙台市は、西口地下歩道・地下鉄入口(地下1階)と西口バスターミナル(地上階)、ペデストリアンデッキ(2階)、新幹線改札階(3階)とを結ぶエレベーターの新設工事を行った[新聞 9][新聞 21]。
仙台駅および周辺駅の所在地と沿革の表
- 上:東側、下:西側
- 色は便宜的なもので、ラインカラーではない。
- 形態は地上駅以外を記載。地上駅以外はホームの階を括弧書きで付記。
- 現在運行されている路線は太字。
- 現在直通運転している路線も記載。
- 略史では、同地での駅の設置年と廃止年を記載(廃止駅の欄は背景が灰色)。
色 | 駅名 | 形態 | 現住所 | 位置 | 略史 | ホーム | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | SenSeki |
(仙石線)仙台 | -3地下駅 (B2F) | 宮城野区榴岡 | 北緯38度15分36.7秒 東経140度53分2.9秒 | 2000年03月11日:JR仙石線 | 9・10 |
2 | SenSeki |
(仙石線)仙台 | 1 | 北緯38度15分41.8秒 東経140度53分0.6秒 | 1952年09月26日:国鉄仙石線 → JR仙石線 → 2000年3月11日:廃止 | 1・2 | |
3 | streetcar |
仙台 | 1 | 北緯38度15分39.4秒 東経140度52分59秒 | 1882年03月20日:宮城木道 → 1888年3月31日:廃止 | 単式 | |
JR仙台駅 東口 | |||||||
4 | Hbf |
仙台(在) | 1 | 青葉区中央 | 北緯38度15分37秒 東経140度52分56秒 | 1929年09月29日:国鉄仙山東線 → 国鉄仙山線 → JR仙山線 | 7・8 |
1897年11月10日:(直) 日本鉄道磐城線 → 国鉄常磐線 → JR常磐線 | 1-6 | ||||||
1968年04月01日:(直) 国鉄丸森線 → 阿武隈急行線 | |||||||
2007年03月18日:(直) JR/仙台空港鉄道仙台空港アクセス線 | |||||||
2015年05月30日:(直) JR仙石東北ライン | |||||||
1887年12月15日:日本鉄道本線 → 国鉄東北本線 → JR東北本線 | |||||||
5 | Hbf |
仙台(新) | 4高架駅 (4F) | 北緯38度15分37秒 東経140度52分55.2秒 | 1997年03月22日:(直) JR秋田新幹線 | 11-14 | |
2016年03月26日:(直) JR北海道新幹線 | |||||||
1982年06月23日:JR東北新幹線 | |||||||
JR仙台駅 西口 | |||||||
6 | SenSeki |
(宮電)仙台 | -4地下駅 (B1F) | 青葉区中央 | 北緯38度15分41.3秒 東経140度52分55.3秒 | 1925年06月05日:宮城電鉄 → 国鉄仙石線 → 1952年6月1日:廃止 | 単式 |
7 | streetcar |
仙台駅前 | 1 | 北緯38度15分37.3秒 東経140度52分51.8秒 | 1926年11月25日:仙台市電 → 1976年3月31日:廃止 | 1・2 | |
8 | subway |
(地下鉄)仙台 | -1地下駅 (B4F) | 北緯38度15分35.1秒 東経140度52分49秒 | 2015年12月06日:仙台市地下鉄東西線 | 3・4 | |
9 | subway |
(地下鉄)仙台 | -2地下駅 (B3F) | 北緯38度15分36.5秒 東経140度52分47.1秒 | 1987年07月15日:仙台市地下鉄南北線 | 1・2 | |
10 | SenSeki |
あおば通 | -3地下駅 (B2F) | 北緯38度15分38.6秒 東経140度52分42.9秒 | 2000年03月11日:JR仙石線 | 1・2 |
年表
- 1887年(明治20年)12月15日:日本鉄道の駅(一般駅)として開業[1](写真 1887年)。
- 1890年(明治23年):大泉屋弁当部(現在のウェルネス伯養軒)が弁当の販売を始める。
- 1894年(明治27年)6月1日:2代目の駅舎が完成(写真 1894年)。
- 1897年(明治30年):磐城線(現在の常磐線)乗り入れ開始。
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年):駅構内で食堂、売店の営業が始まる。
- 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化[1]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、東北本線の所属となる。
- 1925年(大正14年)6月5日:宮城電気鉄道線(現在の仙石線)が西塩釜駅まで開業[39]。
- 1926年(大正15年)11月25日:仙台市電開通。
- 1928年(昭和3年)4月20日:名掛丁に地下道を設置。
- 1929年(昭和4年)9月29日:仙山東線(現在の仙山線)が愛子駅まで開業[40]。
- 1945年(昭和20年)7月10日:仙台空襲で駅舎が損傷[41]
- 1948年(昭和23年)
- 日付不明:駅舎の大時計を宮城県中央児童館に寄贈。
- 4月:4代目の駅舎の工事開始。
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)
- 1955年(昭和30年)10月1日:発車時刻表示板の電気工事現場から出火し、駅本屋の北半分が焼失[新聞 22]。
- 1961年(昭和36年)6月1日:新設の宮城野駅に貨物取扱の一部を譲渡、一般向けの貨物営業終了。
- 1967年(昭和42年)10月1日:第4ホームを設置して、6・7番線が増設[新聞 1]。
- 1970年(昭和45年)10月1日:盛岡旅行センター設置[新聞 23]。
- 1972年(昭和47年)12月1日:5代目の仮駅舎に移転[新聞 24]。
- 1973年(昭和48年)2月1日:新幹線工事のために深夜の旅客列車を宮城野貨物線へ迂回開始。
- 1975年(昭和50年)7月11日:連絡地下道を廃止し、連絡跨線橋の使用を開始[新聞 25]。
- 1976年(昭和51年)4月1日:仙台市電廃止。
- 1977年(昭和52年)12月15日:6代目(現在の)駅舎が営業を開始(新幹線に使用する部分を除く[43])。
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)2月13日:西口に大時計が取り付けられる。
- 1981年(昭和56年)8月4日:駅前西口広場整備事業が完了[新聞 27]。
- 1982年(昭和57年)6月23日:東北新幹線開業(写真 1983年 仙台ターミナルホテル(現在のホテルメトロポリタン仙台)建設前)。
- 1984年(昭和59年)1月15日:貨物の取り扱いを全廃(旅客駅となる)[1]。キリンビール仙台工場、日本専売公社仙台工場専用線廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)7月11日:仙台ターミナルホテル開業。
- 1989年(平成元年)10月8日:新幹線ホームに発車メロディを導入する[44]。
- 1995年(平成7年)9月24日:仙台市の国際友好都市である長春市の長春駅と姉妹駅の締結式[新聞 28]。
- 1996年(平成8年)8月24日:駅構内でコンサートを行う「みちのくエキコン」がスタート[新聞 29][新聞 30]。
- 1998年(平成10年)11月26日:新幹線改札口に自動改札機を設置し、供用開始[45]。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)12月:JR東日本の1階に「Dila仙台」が開業[報道 23]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)10月26日:在来線でICカード「Suica」の利用が可能となる[報道 26]。
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)3月18日:仙台空港鉄道仙台空港線開業に伴い、仙台空港アクセス線として仙台空港駅まで直通運転を開始。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:JR仙台駅は東北地方太平洋沖地震によって駅舎の天井や壁が崩落するなどの甚大な被害を受けたため、地下鉄仙台駅は設備点検のため営業を中止。
- 4月7日:東北地方太平洋沖地震の余震により、JR仙台駅は案内板の崩落やスプリンクラーの誤作動によって浸水するなど、再び被害を受け、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた。
- 7月23日:仙台空港アクセス線が運転を再開したことにより、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧。
- 8月22日:仙台市地下鉄東西線開業に向けた地下鉄駅改良工事を開始。
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)12月6日:地下鉄南北線でICカード「icsca」の利用が可能となる。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)3月21日:地下東口改札と地下南口改札を無人化。
- 2018年(平成30年)
- 3月18日:在来線1番線から6番線の発車メロディを変更し、東北本線、常磐線、仙石東北ライン発車時に「ff(フォルティシモ)」、仙台空港アクセス線発車時に「Around The World」が流れるようになった[報道 35]。
- 11月15日:S-PAL仙台の地下1階食品フロアがリニューアル[報道 36]。
- 2019年(平成31年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)3月1日:びゅうプラザ仙台跡に、駅たびコンシェルジュ仙台が開業[新聞 32]。
- 2023年(令和5年)