伏見宮博恭王
日本の皇族、海軍軍人 (1875-1946) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう、1875年〈明治8年〉10月16日 - 1946年〈昭和21年〉8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。ドイツ帝国海軍兵学校・海軍大学校卒業(日本海兵18期相当)。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。伏見宮貞愛親王の第一王子(庶長子)。伏見宮第25代当主。議定官、軍令部総長を務めた。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う[注釈 1]。艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族軍人の中では際立って実戦経験が豊富であった。伏見軍令部総長宮殿下(ふしみぐんれいぶそうちょうのみやでんか)、伏見元帥宮殿下(ふしみげんすいのみやでんか)などとも呼ばれた。