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似田貝 香門(にたがい かもん、1943年5月28日 - 2023年2月27日[1])は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。地域社会学を専門とし、1970年代の住民運動論、阪神・淡路大震災後のボランティアをめぐる研究で知られる。
似田貝は、1984年の『社会と疎外』などにおける初期マルクス研究でも注目されたが、その社会学の中心には常に構造と主体(構造化と主体化)の問題が位置づけられてきた。すなわち、似田貝にとって、社会学とは、「構造」(複数の要因が関連し合って持続している状態)を、そうした構造に還元され尽くされ得ない「主体」の視点から析出、発見する学問なのである[2]。
似田貝はこの視座に基づき、以下のように住民運動や准看護婦(当時)に関する調査に従事し、それらの対象に見られる社会問題の産出を構造化している場の析出、発見を行なった。
似田貝によれば、社会問題という「できごと」(issue)の産出場は同時に当の問題を被る諸主体の〈通過点〉でもあり、社会問題の社会学的な解決とは、この〈通過点〉を構造として発見し、そこに立ち会う人間の新たな行為(異議申し立てや希望)の現出に焦点化し、解消することである[3]。
以上の点から、似田貝は、主体から構造へのプロセス的把握を目指す自身の方法論を、それまでの地域社会学における客観的な構造分析とは異なる「主体を介しての構造分析」と名付けている[4]。
似田貝は、「できごと」の場における新たな主体形成と、それに立ち会う研究者(調査者)の態度について、主にアラン・トゥレーヌの議論を手がかりにしつつ考究している[5]。似田貝によれば、新たなできごとへの行為にはマクロ社会との隙間や間隙が〈裂け目〉のように存在しており[6]、したがって、その行為を把握する際には、客観的現実としてではなく主観的現実(reality)として捉えなければならない。したがって、調査者は、「新たなるできごとを受けとめる、個としての研究主体がそのできごととの遭遇によって、自己の有限性があらわになる(=開示される)がゆえに、他者との関係によって、むしろ自らでありうるような『自律性』」[7]に基き、被調査者の現実から出発し、また現実へ還っていくという再帰性が求められる。
さらに、似田貝は、阪神・淡路大震災以後のボランティア支援活動者に対する調査から、「生の固有性」に基づいた支援のありように注目した。すなわち、従来のボランティア活動が「みんな」や「社会」のためであったのが、震災支援の活動では「その人のため」へのこだわりが見られるのである。こうした支援活動の背景にあるのが、支援者が被災者の「現実」(reality)に対して、その〈声〉を〈聴く〉という営みである。そして、このことによって、支援者の「有限性」があらわになることで、従来型のパターナリスティックなボランティアではなく、互いの「生の共存世界」を創り出そうとする越境のダイナミズムが湧出しているのである。ここに、似田貝は市民社会(公共性)の新たな生成のテーマを見いだしてもいる[8]。
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