利用者:Dragoniez/sandbox6
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ジーニー (英: Genie、1957年 - ) とは、深刻な幼児虐待、ネグレクト、および社会的隔離の被害を受けたアメリカ人少女の通り名である[1]:428[2][3]。ジーニーは、生後20か月の頃から父親に手足を拘束された状態で鍵のかかった部屋に監禁され、食事も満足に与えられなかったため深刻な栄養失調の状態にあった[4][5][6]:1–6。孤立状態が長く続いたことによりことばに触れる機会が与えられず、結果として幼少期に母語を獲得することもできなかった。1970年の11月、ジーニーはロサンゼルス郡児童福祉局に保護されたが、この時すでに13歳と7か月であった[1]:428[4][6]:5–6。
Genie | |
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ファイル:Genie immediately after rescue.jpg 齢13歳時に公的機関が救出直後、1970年に撮影され初めて公に公開されたジーニーの画像 | |
生誕 |
1957年(66 - 67歳) アメリカ合衆国 アルカディア (カリフォルニア州) |
補足 | |
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ジーニーの事例は、心理学者と言語学者をはじめとする様々な研究者からの注目を集めた。ジーニーは救出時にほとんど言葉が話せない状態であったため、「母語獲得に必要なプロセスとは何か」および「人間がことばを扱うために欠かせないとされる臨界期 (英: critical period) と呼ばれる期間が本当に存在するのか」などの問い対し、さらなる知見を得るための重要な被験者となった。研究者が観察を行った期間中にジーニーは大きな精神的・心理的成長を見せ、数か月以内に高度な非言語コミュニケーション能力を習得したほか、徐々に基本的な社会的能力も身に付けていったが、同時に社会的に隔離された人間に典型的に見られる行動特徴を多くみせている。ジーニーはこの被験者期間中に言語能力訓練も受け続けたが、母語を獲得することは叶わなかった[6][7][8]。
ジーニーは救出後にロサンゼルス子ども病院(英語版)に入院し、内科医と精神科医のチームによる数か月間の治療を受けたが、その後の生活環境手配の面で様々な批判議論が起こっている。1971年の7月、ジーニーは病院を離れ、入院先の恩師とともに生活を始めたが、その1か月半後には研究チーム内の一家族に預けられ、そこで約4年の月日を過ごした。ジーニーが18歳になると実母の元に返されたが、実母は数か月後に「十分にジーニーの世話ができない」と表明している。その後ジーニーは障害者施設を転々としたが、その1つ目においてまたしても外界から隔離された環境に置かれ、極度の肉体的・精神的虐待を受けている[4][5][9]:151–155。この結果ジーニーの身辺衛生は大きく阻害され、研究者による保護期間中に習得した言語能力や社会行動能力が急速に退化した[4][5]。
1978年の1月に、実母が突如としてジーニーを対象とする一切の研究観察を禁止し、その後の動向はよく分かっていないが、現在はカルフォルニア州の保護のもと生活をしていると考えられている[4][10][11]。ジーニーの事例は今でも学術的知見およびメディアから大きな関心が向けられており、中でもジーニーと同様に遅発性心理発達と後期母語獲得の観点から研究の対象となった、19世紀のフランスにおけるアヴェロンの野生児と比較されることが多い[5][9][12]。