劉聡
五胡十六国時代の漢(後の前趙)の3代皇帝。新興郡の出身。劉淵の四男。西晋を滅ぼした / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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劉 聡(りゅう そう)は、五胡十六国時代の前趙の第3代皇帝。字は玄明。別名を劉載という[1]。新興郡(現在の山西省忻州市)の出身。光文帝劉淵の四男である。母は側室の張夫人(後に光献皇后に追尊された)。兄に劉和・劉恭、弟に劉裕・劉隆・劉乂がいる(劉恭以外は異母兄弟)。長兄の劉和を殺害して帝位を継ぐと、八王の乱と異民族の流入により疲弊した西晋を滅ぼし(永嘉の乱)、華北に覇を唱えた。その一方、次第に女色に耽って政治を顧みなくなり、数多くの忠臣を殺害して佞臣を重用した。これにより大いに国力を疲弊させ、漢帝国崩壊の原因を作った。