十七条城
ウィキペディア フリーな encyclopedia
十七条城(じゅうしちじょうじょう)は、岐阜県瑞穂市にあった日本の城(平山城)。瑞穂市指定史跡[1]。西浦の城山と呼ばれる低い丘にあった。
『新撰美濃志』によれば、南北朝時代初頭に土岐頼貞の子・舟木頼胤(土岐頼員の弟・船木頼重と同一人物とも言われる)によって築城された。その後、二階堂氏や仙石秀豊、和田利詮が居城とした時期を経て、享禄年間には林正長が城を改築している。正長の子・林玄蕃は1562年(永禄5年)に織田信長と斎藤龍興の間で起きた軽海の戦いで戦死したため、弟の林正三が後を継ぎ、1578年(天正6年)に逝去するまで城主を務めた。正三の子は稲葉重通の養子になって稲葉正成と名乗り、十七条城で十七条藩・一万石を治めた。その子・稲葉正定は尾張藩へ仕え、やはり十七条村で一千石を治めたが、孫に嗣子がなく1675年(延宝3年)に家が断絶、城は廃城となった。
- 瑞穂市 2021 p.38