十七条藩 - Wikiwand
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十七条藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

十七条藩(じゅうしちじょうはん)は、美濃国(現在の岐阜県瑞穂市十七条)に存在した。居城は十七条城

概要

小早川秀秋の家老・稲葉正成は、関ヶ原の戦いで主君の秀秋を説得したことから、徳川家康を勝利に導いた功労者とされた。しかし、一方で秀秋との関係は悪化し、秀秋没後は浪人になるなど不遇な身の上となった。稲葉正成は妻・と離縁し、福が将軍家の乳母となった後に、やがて正成も召し出されて徳川の家臣となる。

慶長12年(1607年)、稲葉正成は美濃国内に1万石を与えられ、十七条藩を立藩した。元和4年(1618年)2月、正成は松平忠昌付の大名として越後糸魚川藩2万石に移されることとなったが、なぜか正成は忠昌に従うことを嫌ったため、寛永4年(1627年)2月、下野真岡藩2万石に移され、十七条藩は廃藩となった。

歴代藩主

稲葉家

譜代。1万石→2万石。

氏名 官位 在職期間 享年 備考
1 稲葉正成
いなば まさなり
従五位下
佐渡守
慶長12年 - 元和4年
1607年 - 1618年
57 元和4年(1618年)に松平忠昌の附家老となる。
寛永4年(1627年)に下野真岡藩へ転封。
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十七条藩
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