叡福寺北古墳
大阪府太子町にある古墳 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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叡福寺北古墳(えいふくじきたこふん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある古墳。形状は円墳。磯長谷古墳群を構成する古墳の1つ。
概要 叡福寺北古墳, 別名 ...
叡福寺北古墳 | |
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墳丘遠景 | |
別名 | 聖徳太子墓/上城古墳[1] |
所属 | 磯長谷古墳群 |
所在地 |
大阪府南河内郡太子町大字太子 (叡福寺境内) |
位置 | 北緯34度31分11.23秒 東経135度38分21.38秒 |
形状 | 円墳 |
規模 |
南北43m・東西53m 高さ11m |
埋葬施設 | 横穴式石室(内部に棺3基) |
出土品 | 夾紵棺片ほか |
築造時期 | 7世紀後半 |
被葬者 |
(宮内庁治定):聖徳太子 (考古学的推定):厩戸皇子(聖徳太子)・穴穂部間人皇女・膳部菩岐々美郎女 |
陵墓 | 宮内庁治定「磯長墓」 |
地図 | |
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宮内庁により「磯長墓(しながのはか)」として第31代用明天皇皇子・第33代推古天皇皇太子の聖徳太子(厩戸皇子)の墓に治定されている。考古学的にも厩戸皇子の墓の可能性が高い古墳として知られる。