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吉川経忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
吉川経忠
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和3年2月24日1766年4月3日
死没 享和3年5月30日1803年7月18日
別名 和三郎、倫継、経通、金璽
戒名 紹徳院殿孝運祖沢大居士
墓所 山口県岩国市横山の洞泉寺
幕府 江戸幕府
主君 毛利斉房
周防岩国領
氏族 吉川氏
父母 吉川経倫一柳末栄娘多芽
兄弟 経忠、大島義言
織田信憑次女悌
経賢経礼経章、礼成
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吉川 経忠(きっかわ つねただ)は、江戸時代中期から後期にかけての周防国岩国領8代領主。

生涯

吉川経倫の長男として生まれる。寛政4年(1792年)、父の隠居により家督を相続する。岩国の財政は経忠の襲封以前から悪化していた。経忠は文武教育を奨励し、敬神崇祖の範を示すことによって土風の刷新を図った。その上で財政の健全化を図り、家老の宮庄親徳と香川景晃らを中心に財政改革を推進した。しかし享和3年(1803年)に38歳で、麻疹の合併症のため死去した。

系譜

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