卜部兼好
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての歌人、随筆家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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卜部 兼好(うらべ の かねよし / うらべ の けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。
概要 凡例卜部 兼好, 時代 ...
時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 弘安6年(1283年)頃? |
死没 | 文和元年/正平7年(1352年)以後? |
別名 | 吉田兼好、兼好法師 |
官位 | 従五位下、左兵衛佐 |
主君 | 後伏見天皇→後二条天皇 |
氏族 | 卜部宿禰嫡流 |
父母 | 父:卜部兼顕 |
兄弟 | 兼好、慈遍、兼雄 |
妻 | なし |
子 | なし |
特記 事項 | 現在伝わる兼好の系譜は「吉田兼倶による捏造」とする説がある。 |
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治部少輔・卜部兼顕の子。卜部兼名の孫。鎌倉および京都に足跡を残す。旧来、吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏の系譜に連なると考えられてきたが、資料の見直しにより、その根拠となる家系図が吉田兼倶による捏造ではないかという見解がある。吉田神社の系譜に連なるという説に基づき江戸時代以降は吉田 兼好(よしだ けんこう)と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好(けんこう)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。