吉良義郷
戦国時代の武将。三河西条吉良氏当主。吉良義堯の長男 ウィキペディアから
戦国時代の武将。三河西条吉良氏当主。吉良義堯の長男 ウィキペディアから
吉良 義郷(きら よしさと、? - 天文9年(1540年)[1])は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の娘。義安、義昭は弟にあたる。
西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。
父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、天文9年(1540年)[注 1]戦死した[1][注 2]。尾張の織田信秀と戦い、戦死した可能性が高いと言われる[1][注 3]。義郷の死後、弟の義安が家督を継いだ。
法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.