地方病 (日本住血吸虫症)
日本の山梨県における「地方病」こと日本住血吸虫症の撲滅の経緯 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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本項で解説する地方病(ちほうびょう)は、日本住血吸虫症(にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう)[† 1]の山梨県における呼称であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた感染症である。ここではその克服・撲滅に至る歴史について説明する。
「日本住血吸虫症」とは、「住血吸虫科に分類される寄生虫である日本住血吸虫(にほんじゅうけつきゅうちゅう)の寄生によって発症する寄生虫病」であり、「ヒトを含む哺乳類全般の血管内部に寄生感染する人獣共通感染症」でもある[3]。日本住血吸虫はミヤイリガイ(宮入貝、別名:カタヤマガイ)という淡水産巻貝を中間宿主とし、河水に入った哺乳類の皮膚より吸虫の幼虫(セルカリア)が寄生、寄生された宿主は皮膚炎を初発症状として高熱や消化器症状といった急性症状を呈した後に、成虫へと成長した吸虫が肝門脈内部に巣食い慢性化、成虫は宿主の血管内部で生殖産卵を行い、多数寄生して重症化すると肝硬変による黄疸や腹水を発症し、最終的に死に至る[3]。病原体である日本住血吸虫については「日本住血吸虫」を、住血吸虫症全般の病理については「住血吸虫症」を参照のこと。
病名および原虫に日本の国名が冠されているのは、疾患の原因となる病原体(日本住血吸虫)の生体が、世界で最初に日本国内(現:山梨県甲府市)で発見されたことによるものであって、決して日本固有の疾患というわけではない。日本住血吸虫症は中国、フィリピン、インドネシア[† 2]の3カ国を中心に年間数千人から数万人規模の新規感染患者が発生しており、世界保健機関 (英語: World Health Organization、略称:WHO)[5][6]などによって2018年現在もさまざまな対策が行われている[7][8][9]。
日本国内では、1978年(昭和53年)に山梨県内で発生した新感染者の確認を最後に、それ以降の新たな感染者は発生しておらず、1996年(平成8年)の山梨県における終息宣言をもって、日本国内での日本住血吸虫症は撲滅されている[10][11][† 3]。
日本国内における日本住血吸虫症の流行地は水系毎に大きく分けて次の6地域だった[13]。
- 山梨県甲府盆地底部一帯。
- 利根川下流域の茨城県・千葉県[† 4]、および中川流域の埼玉県、荒川流域の東京都のごく一部[† 5]。
- 小櫃川下流域の千葉県木更津市・袖ケ浦市のごく一部[15]。
- 富士川下流域東方の静岡県浮島沼(富士川水系に含まれる現:沼川)周辺の一部[† 6]。
- 芦田川支流、高屋川流域の広島県福山市神辺町片山地区、および隣接した岡山県井原市のごく一部[† 7]。
- 筑後川中下流域の福岡県久留米市周辺および佐賀県鳥栖市周辺の一部。
日本国内では以上の6地域にのみかつて存在した風土病であり[18][19][20]、上記のうち、甲府盆地底部一帯、広島片山地区、筑後川中下流域の3地域が日本住血吸虫症の流行地として特に知られていた。中でも甲府盆地底部一帯は日本国内最大の罹病地帯[† 8](以下、有病地と記述する)であり、この病気の原因究明開始から原虫の発見、治療、予防、防圧、終息宣言に至る歴史の中心的地域であった。
当疾患の正式名称は、日本住血吸虫症 (Schistosomiasis japonica)[21]、ICD-10 (B65.2)[22]であるが、山梨県では官民双方広く一般的に「地方病」と呼ばれている。原因解明への模索開始から終息宣言に至るまで100年以上の歳月を要するなど、罹患者や地域住民を始め研究者や郷土医たちによる地方病対策の歴史は、山梨県の近代医療の歴史でもある。
この項目では「甲府盆地における地方病撲滅の経緯」を記述する。筑後川流域での根絶までの経緯は「筑後川#日本住血吸虫症の撲滅」を参照。全体の時系列は「#年表」も参照のこと。