坂上田村麻呂
日本の公卿、武官 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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伝説上の人物の「坂上田村丸」とは別人です。 |
坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。
概要 凡例坂上 田村麻呂, 時代 ...
時代 | 奈良時代末 - 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 天平宝字2年(758年) |
死没 | 弘仁2年5月23日(ユリウス暦811年6月17日、先発グレゴリオ暦811年6月21日)[1] |
別名 |
坂上田村麿 坂上田村丸 大将軍 田村将軍 坂将軍[原 1] 毘沙門の化身[原 2] 北天の化現[原 3] |
諡号 | 常閑寺殿一品法観清議大居士 |
神号 |
正一位田村大明神[2] 田村大神[3] 坂上田村麻呂公[4] 坂上田村麿将軍[5] |
墓所 |
京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町の西野山古墓 島根県邑智郡邑南町日貫の宝光寺墓所 |
官位 | 陸奥出羽按察使兼陸奥守、正三位、大納言、右近衛大将、侍従、兵部卿、参議、鎮守府将軍、征夷大将軍、贈従二位 |
主君 |
光仁天皇→桓武天皇→平城天皇→ 嵯峨天皇 |
氏族 | 坂上忌寸→坂上大忌寸→坂上大宿禰 |
父母 | 父:坂上苅田麻呂、母:不明 |
兄弟 | 石津麻呂、広人、田村麻呂、鷹主、直弓、鷹養、継野、雄弓、又子、登子 |
妻 | 高子(三善清継の娘) |
子 |
大野、広野、浄野、正野、広雄、高道、春子 他下記参照 |
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4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて征夷に功績を残した。
薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて神将や武神、軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出された。
坂家宝剣では坂家。