天保大判(てんぽうおおばん)とは天保9年6月24日(1838年)より発行された大判である。吹替えによるものではなく、享保大判と同形式であり金品位も近く、吹増大判(ふきましおおばん)あるいは吹継大判(ふきつぎおおばん)とも呼ばれる。
天保8年8月(1837年)から鋳造された五両判はもともと大判座の後藤四郎兵衛家十五代真乗が発案したものであったが、通貨であることを理由に金座に鋳造担当を奪われた[1]ことから大判座の財政難対策に苦慮していたところに登場した大判鋳造であり、大判座救済策の意味合いもあったとされる。