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安倍内閣総理大臣談話(あべないかくそうりだいじんだんわ)は、戦後70年を迎えるにあたって、2015年(平成27年)8月14日に第97代内閣総理大臣の安倍晋三が閣議決定に基づき発表した声明。安倍談話(あべだんわ)、戦後70年談話(せんご70ねんだんわ)として知られる。
この内閣総理大臣談話は、1945年(昭和20年)8月15日の終戦から70年経つ2015年(平成27年)8月15日の前日の8月14日に、内閣総理大臣の安倍晋三が閣議決定に基づいて発表した声明である。
安倍首相はこの談話の作成について、「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作っていくことを心掛けた」と述べている[1]。
冒頭、歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないとの言葉から始まり、西洋諸国の植民地支配に言及し、その危機感を原動力として日本は近代化し、アジアで初の立憲国家となり、日露戦争における勝利がアジアやアフリカの人々を勇気づけたとの話から始まる。
その後、日本が先の大戦に突入したことについて、欧米によるブロック経済が日本を苦しめたことに言及し、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた結果であり、こうした経過の中で日本が進むべき針路を誤り戦争への道を進んで行ったとした。
国内外で斃れた全ての人々へ哀悼の意を表明し、戦火を交えた国と戦場となった地域での犠牲や戦場の陰で深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた事も忘れてはならないと言及した。
先の大戦への反省として「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」について言及。「事変、侵略、戦争」と先に例を挙げた上で、「いかなる武力の威嚇や行使」も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない、「植民地支配」から永遠に訣別しなければならないとし、先の大戦における行為について「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し戦後一貫してアジアの平和と繁栄のために力を尽くしてきた歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないとした。
戦後に引揚者が日本再建の原動力になったことや、中国残留日本人が帰国したこと、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア各軍の捕虜が日本を訪れ、互いの戦死者を慰霊しているということを心に留め置かなければならないとした。
寛容な心によって戦後に日本が国際社会へ復帰できたとして、和解のために尽くしたすべての国と人々へ感謝の意を表明した。
これからの日本人については、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としつつ、過去の歴史に真正面から向き合う必要はあるとした。
最後に、これから日本は「積極的平和主義」をとり、世界の平和と繁栄のために貢献していくとしている。
村山談話(1995年)、小泉談話(2005年)はいずれも、8月15日に閣議決定、発表されているが、安倍談話は8月14日に閣議決定、発表された。15日の前日の14日に行った理由は、15日に「おことば」を述べる天皇に配慮したものだと言われている[2][3][4]。
字数は3000字を超えており、約1300字の村山談話、約1100字の小泉談話を大きく上回る分量となっている[5]。
過去の談話(村山談話・小泉談話)の「キーワード」とされていた、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」については、文言としては盛り込まれている[6]。しかし、「植民地支配」と「侵略」について、過去の談話では日本自身が行った行為として明示されていたのに対し、安倍談話では日本の行為との文脈では明確には触れられておらず[7]、いずれも一般論としての言及となっている[8]。「侵略」については戦後日本の不戦の誓いの形での言及であり[9]、かつての日本の行為が「侵略」であったと直接言及することも避けている[10][11]。また、「痛切な反省」と「おわび」についても、過去の談話を引用する形での言及にとどめ、首相自身の言葉としては語らず[12]、首相自ら直接謝罪を表明することも避けている[8][13]。ただし、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と表明している[14][15]。
過去の談話等でなされてきた「おわび」等の「謝罪」については、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言及した。これには謝罪の繰り返しに歯止めをかけ[16]、区切りをつける狙いがあるとされる[17][18][19]。この文言について首相周辺は、「『謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』は大事なところ。もうこれ以上、謝る必要はないんだよ」と発言[12]、日本経済新聞も記事の中で、「『謝罪外交』に終止符を打つ意思を表明」とした[20]。
肩書はいずれも談話発表当時のもの。
2015年8月14日、外務省はホームページから「歴史問題Q&A」のページを削除した。その後、削除されたことについて国会から指摘を受け「談話を踏まえ、現在改訂中です」といった但し書きを掲載した[50]。9月18日、改訂された「歴史問題Q&A」が掲載され、新たなページでは以前のページに記載されていた「植民地支配」「侵略」の文言が削除された上で、「戦争とは何ら関わりのない、将来の世代が、謝罪を続けねばならないような状況を作ってはなりません。これは、今を生きる、現在の世代の責任であると考えています」と安倍談話の内容を反映する文言が新たに追加された[51][52][53]。
過去の談話ではバンドン演説の内容が首相談話に反映された例もあり、安倍談話においてもバンドン演説やアメリカ議会演説で使用した言葉を引き継いだものがある。
かつて、小泉純一郎が小泉談話の発表の前にアジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年の首脳会議で演説し、その演説の中で「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」という言葉を村山談話とほぼ同じ表現・文脈で使用し、それらの表現はのちの談話にも引き継がれた[54]。そのため、バンドン会議60周年首脳会議での安倍の演説は安倍談話の原型になるとの見方があり、注目が集まっていた[55]。
2015年4月22日、安倍はバンドン会議で演説し「先の大戦の深い反省」に言及したものの、「植民地支配」「心からのお詫び」には言及しなかった[56]。また、「侵略」についてもバンドン会議の平和原則を引用する形での言及であり、かつて日本が侵略を行ったかどうかについて直接言及はしなかった[57]。
2015年4月30日、安倍は日本の首相として初めてアメリカ議会上下両院合同会議の場で演説を行った。この演説については当初からアメリカ議会関係者が「戦後70年談話の序曲」と述べるなど、談話の内容へ影響があるとの見方があった[58]。
安倍は演説「希望の同盟へ」の中で、「植民地支配」「侵略」「お詫び」には触れなかった。一方、「悔悟」「先の大戦に対する痛切な反省」という言葉を使用した[59]。「悔悟」という言葉は過去の談話には見られなかった表現であるが、のちの安倍談話にも引き継がれている。
2015年2月、安倍談話作成に向け、戦後70年談話に関する有識者会議「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」が設置された。この懇談会の報告書の内容は安倍談話の内容を決定するにあたり大きな役割を果たしている。
2015年6月25日(第6回会合)、実質的な討議を終了し[60][61]、7月21日(第7回会合)には今後の取りまとめを西室泰三(同会議座長)と北岡伸一(座長代理)に一任することを確認した[62]。8月6日、座長の西室から安倍に対し報告書が提出された[63]。
談話発表の際に安倍は、「談話の作成に当たっては、『21世紀構想懇談会』を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的なご議論をいただいた」「私は、この提言を『歴史の声』として受け止めたいと思う」と述べている[64]。
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