宝寿院祐心尼ウィキペディア フリーな encyclopedia 宝寿院祐心尼(ほうじゅいん ゆうしんに、永禄8年(1565年) - 元和2年2月2日(1616年3月9日))は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての女性。諱は為子。権中納言冷泉為益の三女。初め誠仁親王の女房となり、典侍局と称する。後に興正寺第17世顕尊の内室となる。『言経卿記』には親王女房の頃は御局、興正寺に嫁した後は西方(にしのかた)などと記される。
宝寿院祐心尼(ほうじゅいん ゆうしんに、永禄8年(1565年) - 元和2年2月2日(1616年3月9日))は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての女性。諱は為子。権中納言冷泉為益の三女。初め誠仁親王の女房となり、典侍局と称する。後に興正寺第17世顕尊の内室となる。『言経卿記』には親王女房の頃は御局、興正寺に嫁した後は西方(にしのかた)などと記される。