小竹 (佐倉市)
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小字は以下の通り[4]。
- 原ヶ作(はらがさく)
- 木戸谷津(きどやつ)
- 米内(こめのうち)
- 大山下(おおやました)
- 埜田(のだ)
- 弁天後(べんてんうしろ)
- 城口(じょうぐち)
- 手操(たぐり)
- 向台(むかいだい)
- 踊場(おどりば)
- 御門屋敷(みかどやしき)
- 中内(なかうち)
- 大原(おおはら)
- 郷(ごう)
- 宮の後(みやのうしろ)
- 登戸(のぼりと)
- 古橋原(こはしはら)
- 扇立(おぎだて)
- 西の作(にしのさく)
- 後谷津(うしろやつ)
- 折元(おりもと)
- 西の台(にしのだい)
- 山崎(やまざき)
- 水神前(すいじんまえ)
- 水神橋(すいじんばし)
- 中橋(なかばし)
江戸期は小竹村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」400石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに402石余。宝永4年検地帳によれば、反別田36町8反余・畑屋敷14町4反余、名請人56、うち屋敷持43(佐倉市史2)。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として夫役永1貫200文・野山銭金1分が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。同年西福寺に小竹小学校開校。神社は四社大神など、寺院は真言宗西福寺(印旛郡誌)。明治22年志津村の大字となる[5]。
年表
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
- 四社大神
- 道祖神社
- 小竹水神社
- 御嶽神社
- 西福寺
- 念仏堂
道路
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 216頁
- 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
- 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
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