山路愛山
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山路 愛山(やまじ あいざん、元治元年12月26日(1865年1月23日) - 大正6年(1917年)3月15日)は、日本の明治から大正初期に活躍した評論家、歴史家。本名は彌吉。愛山はその号である。初め如山と号したが、静岡の愛鷹山に由来する愛山の名は明治20年(1887年)頃から用いられた。
概要 やまじ あいざん 山路 愛山, 生誕 ...
やまじ あいざん 山路 愛山 | |
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書斎における山路愛山 | |
生誕 |
(1865-01-23) 1865年1月23日 江戸、淺草の天文屋敷 |
死没 |
(1917-03-15) 1917年3月15日(52歳没) 日本、静岡県 |
墓地 | 青山霊園 |
国籍 | 日本 |
別名 | 彌吉(本名)、如山(明治20年以前) |
出身校 | 東洋英和学校 |
職業 | 伝道師、評論家、歴史家 |
子供 | 山路平四郎(早稲田大学名誉教授、三男)[1][2][3] |
家族 | 山路彰常(祖父) |
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