川喜多長政
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川喜多 長政(かわきた ながまさ、1903年(明治36年)4月30日 - 1981年(昭和56年)5月24日)は、映画製作者、輸入業者。国際的映画人として、とくにアジアでは絶大な信用を有した。
概要 かわきた ながまさ 川喜多 長政, 本名 ...
かわきた ながまさ 川喜多 長政 | |
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本名 | 川喜多 長政 |
生年月日 | (1903-04-30) 1903年4月30日 |
没年月日 | (1981-05-24) 1981年5月24日(78歳没) |
出身地 | 日本・東京 |
職業 | 映画製作者・輸入業者 |
ジャンル | 映画 |
活動内容 |
1928年 東和商事(現・東宝東和)を設立し、名作映画『自由を我等に』『巴里祭』『会議は踊る』『女だけの都』『望郷』『民族の祭典』などを輸入 1937年 ドイツと初の合作映画『新しき土』を製作 1939年 中華電影公司の最高責任者就任 1947年 公職追放 1950年 公職復帰 1951年 黒澤明監督『羅生門』のヴェネツィア国際映画祭出品に協力(同作は金獅子賞受賞) 1964年 藍綬褒章受章 1973年 勲二等瑞宝章受章 1968年 フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章 イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ受章 |
配偶者 | 川喜多かしこ |
著名な家族 | 川喜多和子(長女) |
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妻で長政以上の国際的知名度を持つ「日本映画の母」かしこ、娘の和子(伊丹十三の最初の妻、のちにフランス映画社社長の柴田駿と結婚)とともに「川喜多家の三人」として記憶される。
名の長政は、歴史好きの父がアジアに飛躍するようにと山田長政から付けたとされる。今日も川喜多一族の名は財団法人『川喜多記念映画文化財団』として映画界に燦然と輝いている。同法人は、日本映画の芸術文化の発展に甚大なる功績を残した映画人等に対して毎年「川喜多賞」を贈り表彰していることで有名である。
なお、鎌倉市に所在する邸宅跡は改修され、鎌倉市川喜多映画記念館として2010年4月に開館。土地は川喜多家が市に寄付し、市が5億円をかけて記念館を設立、毎年約3000万円の運営費を市が支払い、川喜多財団が運営している[1]。