己斐城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
己斐城 (広島県) | |
---|---|
別名 | 己斐新城、平原城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 己斐氏 |
主な城主 | 己斐宗端、己斐直之、己斐興員 |
廃城年 | 慶長5年(1600年)以降 |
遺構 | なし |
指定文化財 | なし |
位置 | |
地図 |
概要
厳島神社の神領衆である己斐氏によって、茶臼山(通称、小茶臼)に築城された山城である。城の南側が大手、北側が搦手であり、山頂に本丸、二の丸、空堀があった。
己斐城は己斐新城、平原城とも呼ばれ、この南約1.5kmにある己斐古城(岩原城)と区別される。
歴史
1515年、銀山城主・武田元繁が己斐豊後守師道入道宗端を攻撃し、数か月にわたり包囲するが落城には至らなかった。己斐宗端は1517年の有田合戦で武田元繁陣営として毛利元就勢と戦い討死した。
宗端の子、己斐豊後守直之の時、1554年の折敷畑の戦いの前に草津城などとともに毛利元就に攻撃され、落城した(防芸引分)。直之は、翌年の厳島の戦いで毛利方の宮尾城の城将として戦い、合戦後に隠居した。
その後、直之の弟、己斐利右衛門興員が城主となった。
関ヶ原の戦い後、毛利氏が防長に転封されるとともに廃城となった。
現在
山頂付近には城跡を示す石碑や案内板があり、本丸、二の丸、南郭などの遺構にはそれを示す石柱が設置されている。
関連項目
Text is available under the CC BY-SA 4.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.
Cover photo is available under {{::mainImage.info.license.name || 'Unknown'}} license.
Cover photo is available under {{::mainImage.info.license.name || 'Unknown'}} license.
Credit:
(see original file).