平重盛
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平 重盛(たいら の しげもり)は、平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男(長男)。
概要 凡例平 重盛, 時代 ...
時代 | 平安時代末期 |
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生誕 | 保延4年(1138年) |
死没 | 治承3年7月29日(1179年9月2日) 享年42 |
改名 | 重盛、浄蓮 |
別名 | 小松内府、小松殿、灯籠大臣 |
墓所 | 茨城県東茨城郡 小松寺など |
官位 | 正二位、内大臣 |
主君 |
鳥羽院→後白河天皇→二条天皇→ 六条天皇→高倉天皇、および後白河院 |
氏族 | 桓武平氏維衡流(伊勢平氏) |
父母 | 父:平清盛、母:高階基章娘 |
兄弟 |
重盛、基盛、宗盛、知盛、徳子、盛子、 重衡、完子、知度、清房、御子姫君、他 |
妻 |
正室:藤原経子 側室:藤原親盛娘、坊門殿(平時信娘)、他 |
子 |
維盛、資盛、清経、有盛、師盛、忠房、 宗実、重実、行実、重遍、清雲[1] 養女:平家盛の娘(原田種直室) |
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保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身に伴って累進していき、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく、正室が藤原成親の妹・経子であったため、成親失脚後は一門のなかでは孤立気味であった。政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあった。清盛の後継者として期待されながらも、清盛と後白河法皇の対立では有効な対策を取ることができないまま、父に先立ち病没した。
六波羅小松第に居を構えていたことから、小松殿ないし小松内大臣とも、またその邸宅に48の灯籠(灯篭)を建てていたことから灯籠大臣とも称された。