忠宣王
高麗の国王 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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忠宣王(ちゅうせんおう、1275年10月20日 - 1325年6月23日)は第26代高麗王(在位1298年、1308年 - 1313年)[1]。
概要 忠宣王 王璋, 王朝 ...
忠宣王 王璋 | |
---|---|
高麗 | |
第26代国王 | |
王朝 | 高麗 |
在位期間 |
1298年3月2日 - 9月24日 1308年9月13日 - 1313年4月20日 |
諡号 | 忠宣憲孝大王 |
生年 |
至元12年9月30日 (1275年10月20日) |
没年 |
泰定2年5月13日 (1325年6月23日) |
父 | 忠烈王 |
母 | 荘穆王后 |
王后・王配 |
薊国大長公主 也速真 |
妃嬪 | 下記参照 |
子女 | 下記参照 |
陵墓 | 徳陵 |
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概要 忠宣王, 各種表記 ...
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第25代国王忠烈王とクビライの娘の荘穆王后との間の長男として生まれ、元の宮廷で育った。母方の従兄に元の第2代皇帝のテムル。妃はクビライの曾孫娘の薊国大長公主宝塔実憐。子は忠粛王(次男)等。姓は王、名は璋、初名は謜。蒙古名は益知礼普花(イジリブカ、 ᠵᠢᠵᠢᠭ ᠪᠤᠬᠠ、Iǰirbuqa[2])。諡号は忠宣憲孝大王(太尉王)。