感染症の歴史

ウィキペディア フリーな 百科事典

感染症の歴史(かんせんしょうのれきし)では、世界の歴史において、特に後世に社会的経済的文化的に甚大な影響を与えた感染症について記述する。医学は感染症の対策や治療の探求により発展してきた。感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって規模が拡大していった。

Danse_macabre_by_Michael_Wolgemut.png
ミヒャエル・ヴォルゲムートドイツ語版死の舞踏』1493年、版画
「生」に対して圧倒的勝利をかちとった「死」が踊っているすがた — 14世紀の「黒死病」の流行は全ヨーロッパに死の恐怖を引き起こした。

病原微生物ないし病原体マイコプラズマクラミジアといった細菌スピロヘータリケッチアウイルス真菌原虫寄生虫)がヒト動物のからだや体液に侵入し、定着・増殖して感染をおこすと組織を破壊したり、病原体が毒素を出したりしてからだに害をあたえると、一定の潜伏期間を経たのちに病気となる。これを感染症という。類義語として伝染病があるが、これは伝染性をもつ感染症をさしている[1]。また、伝染性をもつ感染症の流行を疫病(はやり病)と呼んでいる。

感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。感染症や疫病に関する記録は、古代メソポタミア文明にあってはバビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』にすでに四災厄のなかのひとつに数えられ、同時期のエジプトでもファラオの威光は悪疫の年における厄病神に比較されている。中国にあっても、紀元前13世紀における甲骨文字の刻された考古資料からも疫病を占卜する文言が確認されている[2]。日本においては平安時代には疫病の終息を願う神事が全国で行われていた[3]。災厄に対する人びとの対応は、歴史的・地域的にさまざまであったが、その一方で、人びとの行為・行動の背景となった疫病観、死生観信仰哲学科学の発達などを考察することにより、人類の歴史経済社会のあり方への理解を深めることができる。

抗生物質の普及や予防接種の義務化、公衆衛生の改善などによって感染症を過去の脅威とみなす風潮もみられたが、耐性菌の拡大経済のグローバル化による新興感染症の出現など、一時の楽観を覆すような新たな状況が生じており、今なおその脅威は人類社会に大きな影を投げかけている。