押小路烏丸殿ウィキペディア フリーな encyclopedia 押小路烏丸殿(おしこうじからすまどの)は、中世京都にあった邸宅の1つ。後に二条摂関家の邸宅を経て、本能寺の変の際に織田信忠が戦死した二条新御所となる。現在の京都市中京区二条殿町及び御池之町、龍池町付近と考えられている。通称:二条殿。 「此附近 二条殿址」の碑(京都市中京区両替町通御池上る東側、京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校)付近)[1]
押小路烏丸殿(おしこうじからすまどの)は、中世京都にあった邸宅の1つ。後に二条摂関家の邸宅を経て、本能寺の変の際に織田信忠が戦死した二条新御所となる。現在の京都市中京区二条殿町及び御池之町、龍池町付近と考えられている。通称:二条殿。 「此附近 二条殿址」の碑(京都市中京区両替町通御池上る東側、京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校)付近)[1]