新日和見主義事件
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新日和見主義事件(しんひよりみしゅぎじけん)とは、1970年代初頭に、日本共産党中央委員であった広谷俊二や民主青年同盟中央常任委員であった川上徹らが中心となり、民青同盟中央委員会を拠点として、党の公式路線に反対するための党内秘密組織(分派)を組織した事件である。新日和見分派事件とも呼ばれる。
日本共産党は規約で分派を禁じており、広谷・川上らの分派は1972年5月に党中央によって摘発された。最終的には分派活動に携わったと判断された党員約100名が共産党や民青同盟によって処分に付された。後日、党中央は被処分者のものとする思想傾向を「新日和見主義」と命名し、批判を加えた。これが事件と分派の通称の由来となった。