旅順刑務所
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旅順刑務所(りょじゅんけいむしょ)は、現在の遼寧省大連市旅順口区の市街地北部に位置していた刑務所。1902年にロシア帝国が建設し、1907年に大日本帝国が拡張して「関東都督府監獄署于」と呼ばれた後、1920年に「関東庁監獄」、1934年に「関東刑務所」、1939年に「旅順刑務所」と呼ばれた。
1945年ソ連軍が旅順に入った後解体されたが、1971年7月に再建され、「旅順日露監獄旧址(旅顺日俄监狱旧址)」として陳列館となった。1988年、中華人民共和国全国重点文物保護単位(第三批)とされる。
刑務所は主にその時代における満州と朝鮮の反日人物の他、ソ連やエジプト、日本国内の反戦的な人物も拘束されていた。中国側主張によれば、1906年から1936年間に累計2万人余りが拘束され[1]、1942年から1945年8月の間には約700名が殺害されたとしている[2]。