日野車体工業
ウィキペディア フリーな encyclopedia
日野車体工業株式会社(ひのしゃたいこうぎょう、Hino Body Co.LTD)は、1975年(昭和50年)4月から2004年(平成16年)9月まで存在したコーチビルダー[1]。神奈川県横浜市鶴見区に本社を置いていた[1]。日野自動車100%出資の完全子会社であった。
概要 種類, 略称 ...
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 日野車体 |
本社所在地 |
日本 〒230-0003 神奈川県横浜市鶴見区尻手1丁目1番25号[1][2] |
設立 | 1930年3月[3] |
業種 | 輸送用機器 |
関係する人物 | 脇田兼太郎(創業者) |
特記事項:1908年創業[3] 1975年4月、帝国自動車工業と金産自動車工業が合併し、日野車体工業株式会社に商号変更[1] 2002年10月、会社分割により株式会社トランテックスに商号変更[1] | |
テンプレートを表示 |
閉じる
2002年(平成14年)10月1日に会社分割を行い、トラック架装会社を存続会社として株式会社トランテックスに商号変更した[1]。バスボデー製造会社を分社化する形で事業継承した(新)日野車体工業は、2004年(平成16年)10月にジェイ・バスが(新)日野車体工業といすゞバス製造の2社の存続会社となる形で3社合併し、日野車体工業は法人としては消滅した。