最雲法親王平安時代中期の法親王。天台宗の僧。第49世天台座主。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 最雲法親王(さいうんほっしんのう、長治元年(1104年) - 応保2年2月16日(1162年3月3日))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は堀河天皇。 概要 最雲法親王, 続柄 ...最雲法親王続柄 堀河天皇皇子身位 法親王出生 長治元年(1104年)死去 応保2年2月16日(1162年3月3日)(享年59)父親 堀河天皇母親 藤原時経女役職 第49世天台座主テンプレートを表示閉じる 比叡山に上り、天台座主仁豪に師事して出家・受戒し、仁実僧正から顕教・密教を学んだ。1156年(保元元年)延暦寺座主に就任し、1158年(保元3年)には僧正に任じられ、親王宣下を受けて法親王となった。同じ年座主の職を辞して山房に閑居、座禅看経の生活を送った。 後白河天皇の第三皇子以仁王が幼くして最雲法親王の弟子となるが、応保2年(1162年)に最雲が亡くなると還俗した。
最雲法親王(さいうんほっしんのう、長治元年(1104年) - 応保2年2月16日(1162年3月3日))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は堀河天皇。 概要 最雲法親王, 続柄 ...最雲法親王続柄 堀河天皇皇子身位 法親王出生 長治元年(1104年)死去 応保2年2月16日(1162年3月3日)(享年59)父親 堀河天皇母親 藤原時経女役職 第49世天台座主テンプレートを表示閉じる 比叡山に上り、天台座主仁豪に師事して出家・受戒し、仁実僧正から顕教・密教を学んだ。1156年(保元元年)延暦寺座主に就任し、1158年(保元3年)には僧正に任じられ、親王宣下を受けて法親王となった。同じ年座主の職を辞して山房に閑居、座禅看経の生活を送った。 後白河天皇の第三皇子以仁王が幼くして最雲法親王の弟子となるが、応保2年(1162年)に最雲が亡くなると還俗した。