東入植地
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東入植地(ひがしにゅうしょくち) (古ノルド語: Eystribyggð[3] ; グリーンランド語: Kujataa[4]) は、アイスランドのヴァイキングたちによって985年頃からグリーンランドに建設された3つの入植地(東・中・西)の一つである。東入植地はそれらの中で最初にして最大の場所であり、最盛期には4000人が暮らした。日本語では「東入植地」[5][6]のほか、「東定住地」[7]、「東地区」[8]、「東居留地」[9]、「東部居住地」[10]などとも訳されている。
概要 所在地, 座標 ...
所在地 | グリーンランド クヤレック[1] |
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座標 | 北緯61度09分52秒 西経45度35分53秒 |
種類 | 遺跡 |
歴史 | |
時代 | 中世(10世紀 – 15世紀) |
追加情報 | |
所有者 | 公有地[2] |
管理者 | グリーンランド自治政府[2] |
文化財指定 |
文化遺産保護法令をはじめ、各種保護法令の対象となっている[2]。 2017年に世界遺産リスト登録。 |
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「東」入植地という名称から想起されるのとは違い、西入植地(英語版)の東ではなく、500 km南にある[11][Note 1]。そして、西入植地同様、グリーンランド南西部のエイリークスフィヨルド(Eiriksfjord / 古ノルド語: Eiríksfjörðr)やイガリク(村と同名のフィヨルド。別名エイナールスフィヨルド / 古ノルド語: Einarsfjörðr)といった長いフィヨルドの端に位置した[12][13]。
その区画には、スカンジナビア風の農家およそ500件の遺跡群があり[14]、ブラッタフリーズ(英語版)、フヴァルセー(英語版)、ガルダル(英語版)(ガルザル)、Dyrnæs(英語版)など、16聖堂の遺跡が含まれる。この入植地に関する最後の記録は1408年に挙行された結婚式のもので、これは西入植地の最北の集落が終焉を迎えた後の、50年から100年ほどが経った時期に当たる。15世紀に放棄された後、18世紀以降にイヌイット(カラーリット)が進出して形成された農業景観も含めた代表的な遺跡5件が、2017年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。