柳田國男
民俗学者、官僚 (1875-1962) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。大日本帝国憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた[1]。日本学士院会員、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は正三位・勲一等。出版物等においては、常用漢字体による「柳田 国男」という表記も使用される。
概要 柳田 國男(やなぎた くにお), 誕生 ...
柳田 國男 (やなぎた くにお) | |
---|---|
昭和初期 | |
誕生 |
(1875-07-31) 1875年7月31日 日本・飾磨県神東郡辻川村 (現・兵庫県神崎郡福崎町辻川) |
死没 |
(1962-08-08) 1962年8月8日(87歳没) 日本・東京都世田谷区成城 |
墓地 | 春秋苑(神奈川県川崎市多摩区) |
職業 | 民俗学者、著作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 法学士 |
最終学歴 | 東京帝国大学法科大学政治科 |
ジャンル | 民俗学 |
主題 | 民俗学、日本思想、歴史、口承文学 |
代表作 |
『遠野物語』(1910年) 『蝸牛考』 『桃太郎の誕生』 『海上の道』 |
主な受賞歴 |
文化勲章受勲(1951年) 正三位勲一等旭日大綬章受勲 |
親族 | 本項の「家族・親族」及び「系譜」の節を参照 |
影響を受けたもの
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「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者であり、多数の著作は今日まで重版され続けている。