桐工作
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桐工作(きりこうさく)または宋子良工作(そうしりょうこうさく)とは、日中戦争打開のために、極秘で1939年(昭和14年)12月から始まった和平工作である。大日本帝国陸軍の今井武夫大佐(当時)が中心となって進めた。日本(大日本帝国)は、1940年(昭和15年)9月にこの工作を中止した。
なお、この和平工作が「桐工作」と命名されたのは、それまでの対中和平工作にはすべて植物の名が冠せられていたという説と、中国の俚諺に「鳳凰は桐の木にとまる」とあるところにより、それを採用したという説がある[1][注釈 1]。松崎昭一は、おそらくはその両方に由来する命名であろうとしている[1]。