欽定憲法大綱
清の憲法 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
欽定憲法大綱(きんていけんぽうたいこう)は、光緒34年8月1日(1908年8月27日)に制定された中国初の憲法。
1905年、清朝は、端方、戴鴻慈、李盛鐸、載沢、尚其亨ら五大臣を二つのグループに分け、それぞれ日、米、英、仏、独、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、オーストリア=ハンガリー帝国に派遣して、列強が実施している立憲制度を視察させた。
五大臣は日本と西欧列強を視察した後、各国の立憲政治を考察した資料を整理して提出した。この資料を整理して収合するため、朝廷では1906年、考察政治館を新設した。考察政治館はその後、憲政編査館に改称された。
同年8月末、西太后は調整会議を通じて予備立憲を採択した。光緒帝は9月1日、「憲政を倣って施行する」と言う倣行憲政の皇命を下した。2年後の1908年(光緒34年)8月27日、欽定憲法大綱が頒布された。