武藤氏日本の氏族 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 武藤氏(むとうし)は、日本の氏族の一つ。藤原氏の一族である(藤原北家)。 この項目では、藤原氏の一族について説明しています。甲斐源氏武田氏庶流大井氏族で、一時的に真田昌幸が名跡を継いだ武藤氏については「大井氏#武田大井氏」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2020年8月) 藤原秀郷の流れとも藤原道長の流れともいわれる。武蔵に拠点を置いたため武藤氏と名乗ったとの説が有力である。平安時代後期に藤原景頼の子の頼平が武者所に就いたことで有名である。資頼は頼平の実子である。 その末裔としては、出羽の大宝寺氏(頼平の子の氏平が祖)、筑前・肥前の少弐氏(頼平の子の資頼)がある。また、武藤氏と近藤氏(末裔には大友氏等を輩出)とは同族である(頼平の兄弟の能成の子が大友能直)。 家紋は丸に隅立て四つ目である。
武藤氏(むとうし)は、日本の氏族の一つ。藤原氏の一族である(藤原北家)。 この項目では、藤原氏の一族について説明しています。甲斐源氏武田氏庶流大井氏族で、一時的に真田昌幸が名跡を継いだ武藤氏については「大井氏#武田大井氏」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2020年8月) 藤原秀郷の流れとも藤原道長の流れともいわれる。武蔵に拠点を置いたため武藤氏と名乗ったとの説が有力である。平安時代後期に藤原景頼の子の頼平が武者所に就いたことで有名である。資頼は頼平の実子である。 その末裔としては、出羽の大宝寺氏(頼平の子の氏平が祖)、筑前・肥前の少弐氏(頼平の子の資頼)がある。また、武藤氏と近藤氏(末裔には大友氏等を輩出)とは同族である(頼平の兄弟の能成の子が大友能直)。 家紋は丸に隅立て四つ目である。