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法師宗(ほっししゅう)は、齋藤豊吉と齋藤千代によって設立された、法華系の新宗教である。
独自の聖地は設けていない。同宗は釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを信奉する仏教宗派のため、聖地ということになれば次の四大聖地となる、という解釈である。
法華経を篤く信仰していた初代総裁、故・齋藤豊吉と二代総裁、故・齋藤千代は、東京の戦火を逃れ、昭和19(1944)年4月8日※ 午前8時、初代総裁の郷里である岩手県一関市に疎開。ここを法師道実践の地と定め、布教活動を開始。わずか2人だけの、まさしくゼロからの出発となった。
同時に、「縁起の法門」を入り口に、涅槃寂静に至る法師道の前身である「供養道」の源泉を探し求め、遂に無学大師であることが判明。さらに大師随一の高弟、正学恩師がその教えの根本を護持されることを突き止めるに至り、奇しくも無学大師三十三回忌にあたる昭和25(1950)年大師亡きあと護り続けて来た本流としての『証』を、正学恩師より託された。
明けて昭和26(1951)年1月、その『証』を基に、輪廻解脱に至る法師道の広宣流布者「法師」の育成を目的とした「法師会教団」を創立。ようやく1人目が門徒となったことを契機としてその評判が徐々に広まり、両師に教えをこう人々が参集するようになった。そして2年後の昭和28(1953)2月、文部省(当時)管轄の包括宗教法人として認証されるに至った。
以来、両師の志願から半世紀にわたり躍進を遂げたが、さらなる発展を願い、法師道を八徳目の実践体系とし、それを契機として平成10(1998)年6月、文部省(当時)の認証を受けて「法師宗」と改称し、現在に至っている。
※広宣流布の志を抱いて一関の土を踏みしめた昭和19(1944)年4月8日を「立教開宗の日」と定めている。
「縁起の法門」を入り口に、涅槃寂静に至るまでを「法師道」とし、八つの徳目を掲げている。
八徳目とは、
である。
これらの実践によって得られた善根功徳を廻向し、自身および先祖の魂と一切衆生の魂の輪廻解脱をめざすとされている。
同宗では、子孫自らが先祖を供養することを重要な行としており、功徳廻向の第一としている。
出典/宗教情報リサーチセンター[1]外部リンク
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