温井総貞
ウィキペディアから
ウィキペディアから
温井 総貞(ぬくい ふささだ)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。剃髪後の温井紹春でも知られる。畠山七人衆の筆頭。能登国天堂城主。
藤原北家利仁流の温井氏は能登の国人で、現在の輪島を領していた。
畠山義総・義続・義綱3代にわたり仕えた(最初の主君・義総からは偏諱(「総」の字)を与えられた)。文芸に深く義総の寵愛を受け家中の筆頭重臣となった。天文3年(1534年)に兵庫助、天文14年(1545年)に備中守を称す。義続・義綱の時代になると専横に振る舞うようになり、畠山七人衆の筆頭となった頃には、遊佐氏の当主・遊佐続光を蹴落とし、権力をほしいままにした。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.