牟佐坐神社
奈良県橿原市にある神社 ウィキペディアから
奈良県橿原市にある神社 ウィキペディアから
古来の祭神の比定としては以下の記述がある。
創始は安康天皇の時代に、渡来人の身狭村主青が生雷神を祀ったのが始まりとされている。 身狭(=牟佐)は大和国高市郡の地名で、阿知使主が率いて帰化した東漢氏の本拠地とされている。身狭村主青は倭の五王の一人とされている雄略天皇の寵臣で、『日本書紀』は雄略天皇8年(464年)と雄略天皇12年(468年)に呉の国(宋)に派遣されたと記す。しかし、この遣使の記事は「宋書」には記述されていない。
『日本書紀』によれば、壬申の乱の際、高市郡大領高市縣主許梅に「高市社に居る事代主神と身狭社に居る生霊神」が神懸りし、「神日本磐余彦天皇の陵に馬及び種々の兵器を奉れ」と言い、そうすれば大海人皇子(後の天武天皇)を守護すると神託した。[1]その結果、大海人皇子の即位後、身狭坐生霊神に史上初となる神位が授けられている。延喜式神名帳では大社に列し、月次・新嘗の奉幣に預ると記されている。
旧社格は村社に列した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.