田尻愛義
日本の外交官 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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田尻 愛義(たじり あきよし、1896年11月28日[1] - 1975年10月29日)は、日本の外交官。特命全権公使として上海在勤ののち、外務省政務局長や、大東亜次官、外務次官を務めた。
中国ナショナリズムを尊重する立場をとり、外交官生活の大半を中国で送った。日中和平交渉史の中では、汪兆銘側から求められて香港総領事に就任したことで知られるが、実際には田尻は「汪兆銘工作」に対して強い批判を持っていた。