石川倉次
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石川 倉次(いしかわ くらじ、1859年2月28日〈安政6年1月26日[1][2]〉 - 1944年〈昭和19年〉12月23日)は、日本の教育者[3]。ルイ・ブライユが考案した6点点字を基に日本語に翻案して全国を回り点字を広める等、今日の日本語点字の基礎を築き、「日本点字の父」といわれている[3][4]。
概要 いしかわ くらじ 石川 倉次, 生誕 ...
いしかわ くらじ 石川 倉次 | |
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1936年(昭和11年)撮影 | |
生誕 |
(1859-02-28) 1859年2月28日 遠江国浜松藩(現在の静岡県浜松市) |
死没 | (1944-12-23) 1944年12月23日(85歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 教育者 |
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